アスイク 代表のブログ

こどもの貧困問題、NPOの経営、生き方在り方などについて。

ジュディとの出会いと別れ

きっとどの起業家・経営者にもある、「恩人」との出会い。

 

僕自身も、この8年でたくさんの恩人とめぐり逢い、助けられ、生かされてきました。

その一人に、ジュディという女性がいます。

 

2011年秋、法人化したばかりのアスイクは、仮設住宅で子どもたちの学習サポートを行なっていました。でも、その何倍もの方々が生活していたのが、そこらじゅうの賃貸住宅が仮設扱いになっているみなし仮設。じゃあ、みなし仮設で暮らしている子どもたちの居場所もつくらねば、と考えたものの、どこの馬の骨ともわからないNPOに、しかも不特定多数のこどもが集まる場所として貸してくれるオーナーは多くありません。

 

どこでもよければ貸し手もいたと思いますが、あちこちに散らばっているみなし仮設の子どもたちが来やすい場所となると、仙台駅近くでなければならなかった。そして、そんな利便性のよいテナントを借りれる資金面の余裕は、当時の私たちにはありませんでした。

 

そんなとき、不動産会社の方から紹介していただいたあるテナント。仙台駅の隣駅からすぐ、広さも十分で、目の前には公園。ここしかないと思ったものの、家賃は提示されいている価格の1/3しか出すことができなかった。案の定、オーナーさんからは断られてしまいました。

 

でも、ここしかない!という思いに駆られた僕はあきらめきれず、テナントの2階に住んでいるオーナーさんのお宅を訪問。もう断られているのだから、別に失うものもない。万が一借りられたら、それを必要とする子どもたちの役に立つんだから、怒られるかもしれないけどやってみよう。そんな風に自分を奮い立たせ、新聞記事のスクラップ片手に、オーナーさんに頼み込んだ記憶があります。

(注:オーナーさんに直接アタックするのはルール違反。これをやると不動産会社からはめちゃくちゃ怒られるのでマネしないでください)

 

その数日後、不動産会社の方から電話。「オーナーさん、OKでましたよ」。

後から聞いた話では、オーナーさんは迷っていらっしゃったのですが、奥さまが貸してあげなさいよ、と背中を押してくださったそうです。その奥さまが、ジュディでした。

(この不動産会社の方も有名な方で、こんな失礼な若造を怒りもせずに支えてくださった恩人のひとりです)

 

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(当時借りていた学習支援拠点兼事務所。初めて借りることができた場所でもある)

 

ジュディは、ご自宅を開放して個人の英語塾を開催していました。同時に、その地区の主任児童委員も担っていました。そして、歴とした日本人です(笑)。

 

私もボランティアに参加していいかしら。控えめに声をかけてくださったジュディは、その日から毎週火曜日に1階のテナントにやってきて、子どもたちに英語を教えてくれました。

 

やんちゃな子どもに「何て呼べばいい?」と聞かれ、「プリーズ・コール・ミー・ジュディ」と答えたジュディ。その日から、彼女の名札にはジュディの文字が入りました。

 

いつしかジュディが来る日は、食事つきの学習会となりました。料理が得意なジュディは、2階の自宅でつくった料理をたくさん持ってきてくれて、子どもや学生のボランティアにふるまってくれたのです。こども食堂が広まるずっと前から、アスイクの学習会にはそんな光景が広がっていました。

 

深夜に仕事を終え、帰宅しようと自転車にまたがったとき、「シチュー持って帰らないー?」と2階の窓から声をかけてくださったジュディの顔がよみがえります。

 

その場所での学習サポートが一区切りついてから、ジュディの顔を見ることはめっきり少なくなりました。

ジュディが癌になり、闘病している。

だいぶ後になってから、その事実を知りました。

そして、お亡くなりになったと聞くまでに、それほど時間はかかりませんでした。

2014年7月のこと。

 

民生児童委員対象の研修を準備していて、ふとよみがえった記憶でした。

 

ジュディのおかげで、8年経ったいまも、こうしてアスイクがつづいています。

感謝の気持ちしかありません。

ありがとうございました。

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(右手前の女性がジュディ。やさしさがにじみ出ているような方でした)