アスイク 代表のブログ

こどもの貧困問題、NPOの経営、生き方在り方などについて。

「分かりにくさ」こそ大事な、貧困問題

このところ、コンスタントに「こどもの貧困」をテーマにした講師のご依頼をいただいています。

2008年頃から急速に社会的な関心を集めてきた、こどもの貧困問題。そのうちトーンダウンしてしまうんじゃないかといつも不安を感じていますが、実感値としてはまだまだ関心の高さは持続しているし、講演などでは、既にこどもの貧困問題の概略的なことを知っている方も増えた気がしています。

 

先日も、シニアが参加する講座でお話をさせていただきました。

日本の貧困の定義が、「所得が高い世帯から低い世帯まで右から左に並べて、真ん中にいる世帯の半分以下の所得で暮らしている方々」と話したところで、首をかしげる反応しか返ってこないことは良くわかっているので、最近は家計のミニワークをセットにしています。

f:id:Yusuke_Ohashi:20180921175331g:plain

真ん中の世帯(月の可処分所得34万円)の半分である17万円に収まるように家計簿をつけてみることで、どれだけ貧困線以下の生活が大変かを実感してもらうことが狙いのワーク(出所:「子どもの貧困ハンドブック」p64,65、かもがわ出版)。

3分くらい考えてもらうだけでも、会場のほとんどが「こりゃ大変だ」とざわつきます。そしてこれは、決してそう発言された方を非難する意図ではないと前置きをしますが、「母子家庭は優先的に入れるんだから、公営住宅に住めばいい」、「車は贅沢だから、手放せばいい」といった声も聞こえてきます。

 

確かに、家計のやりくりだけ考えれば、そのご意見はごもっともかもしれません。

しかし現実には、そこには人の生活があり、感情があります。

 

車がなければ、通勤できなくなったり、子どもの送り迎えもできなくなる人もいる。
公営住宅に入れば、学区が変わって子どもが転校しなければならなくなる人もいる。

たとえ上のような生活上の困りごとが発生しないとしても、
そこには、自分は車をもつということを諦めなければならないんだ、という痛みがあるかもしれない。
自分は、自由に住みたい家を選ぶことを諦めなければならないんだ、という悲しみがあるかもしれない。

 

以前、私たちの研修で語ってくれた、当事者の若者たちのことばがよみがえります。

 

本人曰く「親からのえぐい虐待」があり、児童養護施設で育った若者のことば。

------------------------------------------------------------------------------------------------------------

自分は施設で育ったから、経済的に大変だという感覚はなかった。

けど、友達とあそぶ時にはコンビニでお菓子を買うお金がなくて、「財布を忘れた」とか「おなかがすいてない」と言って、その場をしのいでいた。

「一口ちょうだい」というのが多くなって、「またかよ」と言われるときはやるせない気持ちだった。

最近は、施設でも何もしないで、ただ寝てるだけのやつがいる。

何か大きな出来事があってそうなるんじゃなくて、細かいことの積み重ねがあって、動けなくなるんだ。

------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

高校生の時にうつ状態になり、高校中退した大学生のことば。

------------------------------------------------------------------------------------------------------------

祖父母が援助してくれていたから、生活に困った記憶は特にない。

でも、中学に入るころくらいには、子どもながらに、うちはお金がないから経済的な負担はかけられない、と意識していた。

進学するならば国公立しか選択肢はないと思っていたが、目指す目的もはっきりせず、努力してハードルをこえる自信はなかった。

祖父母の援助に頼っている親に対して、尊敬できない気持ちも抱いていた。

だから、早く自立したいという思いがあった。

就職も考えたけど、自分が社会で生きていけるのかという不安があった。

将来への不安感や行き詰まり感がたまって、うつ状態になっていった。

------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

この2人のことばから改めて感じたのは、私たちが関心を向けなければならないのは、「無いこと」そのものではなく、そのことによる子ども(あるいは大人)の気持ち、感情だということ。

 

たとえば、十分な食事があるか、お小遣いがあるか、塾にいけるお金があるか、部活に必要な道具があるか、自分の部屋があるか、携帯電話を持っているか...

もちろん、そういったものを持っているかそうではないか自体に目を向けることも大事なことだと思います。

でも、この若者たちの人生に影響を与えていたのは、「無いこと」そのものではなく、そのことによる傷つき体験であったり、諦めの体験ではないかと感じました。

 

日本の相対的貧困問題を考える時、お金の有る無しの問題、モノの有る無しの問題ではなく、それによって生じるココロの問題にこそ、意識を向けなければならないのではないでしょうか。

難しいのは、ココロの問題といった瞬間、どこまでを許容できないものととらえるかは、人によって違ってくる捉えどころのないものになってしまうこと。しかし、この曖昧さを許容しながら向き合っていくのが、日本の貧困問題なのかもしれないとも思います。

 

「母子家庭は優先的に入れるんだから、公営住宅に住めばいい」、「車は贅沢だから、手放せばいい」。これは、この仕事を始める前だったならば、確実に自分の口から出ていた言葉でもある。自分自身がわからなかったものを、まだまだ不十分ではありながらも、知れるようになったからこそ、「分かりやすい貧困」を発信するよりも、「繊細で分かりにくい貧困」を大事にしていきたいと考えています。