アスイク 代表のブログ

こどもの貧困問題、NPOの経営、生き方在り方などについて。

「改正生活困窮者自立支援法」で子どもの支援は、こう変わる。

今日はちょっと、固めの話。

(漢字が多くて、すみません。そしてかなりマニアックです)

 

7月26日に開催された厚生労働省の生活困窮者自立支援制度全国担当者会議で、生活困窮者自立支援法(生困法)の改正内容が公表されました。

ご存知の方も多いと思いますが、生困法は2015年に施行された新しい法律で、今回の改正は3年の見直し規定に基づくものです。

この法律では、生活保護の手前にセーフティネットを設けることを目的として、福祉事務所のある自治体が自立相談支援事業(実施は必須)、就労準備支援事業(任意事業。以下同じ)、家計相談支援事業、一時生活支援事業などを実施できるようになり、子どもの学習支援事業も任意事業の一つとして位置づけられました。

任意事業の中でも、特に子どもの学習支援事業は実施自治体が増えつづけていて、少しデータは古いですが、平成28年度時点でほぼほぼ半数の423自治体が実施しています。

ちなみに、私たちが活動する宮城県は実施率が低く、平成28年度時点ではわずか21%、平成30年度時点でも40%という状況です(私たちなりに精一杯がんばってきたんですがね)。この傾向は宮城県にとどまらず、東北全体が似たり寄ったりの感じになっています。

と、いろいろ課題はあるものの、2015年の施行によって、全国に子どもの学習支援事業が拡大することに大きく寄与してきた生困法。今回の改正によって、何が変わるのか。法制定前から現場で事業をつくってきた団体の視点から、ポイントをまとめておきたいと思います。なお、ここで書いていることは、厚労省の資料をもとにした考察も多分に含まれていて、正確性を保証するものではありませんので、ご承知おきください。

 

  • 子どもの学習支援事業から、「学習・生活」支援事業へ
 
一部では不評を買ってきた、学習支援事業という名称。塾に行けない子どもに無料で勉強を教えることで貧困の連鎖から脱却させる、というロジックは、分かりやすく、社会に学習支援のムーブメントを起こすには一役買ったと思いますが、私たちも含め、クエスチョンを感じてきた団体も少なくありません。
だって、「分かりにくさ」は貧困問題の特徴そのもの。一見何も変わったところがなさそうな子どもが、実は性被害にあっていたり、ダブルワーク・トリプルワークの無理がたたって保護者が体を壊して家事ができなくなっていたり、あるいは足りない生活費を消費者金融で埋め合わせしていたり、DV被害者が一時的に生活する施設で暮らしていたり、いじめのターゲットになって死を考えていたり。貧困を背景に、ややこしくこんがらがった問題をひとりの子どもや保護者が抱えていることは珍しくありません。
そんな子どもたちに対して、頑張って勉強して、成績をあげて、偏差値の高い高校ややりたいことがやれる高校にいって自立しようぜ!というのは、いささか酷というか、子どもの視点に立った支援のあり方とはかけ離れていないでしょうか。課題-解決策の論理展開が破綻していやしないでしょうか。
もちろん、貧困と一口に言っても、さまざま状況の子どもたちがいます。特に生活上の困りごとは感じていなくて、他の子どもと同じように塾に行きたいという子どももいて、そういった子どものニーズに応えることがダメという話ではありません。大事なのは、さまざまな状態・ニーズを抱えた子どもたちにできるだけ対応できるような一律的ではないサポートのあり方と、子どもの生活の土台になる家庭の課題も含めてサポートしようとするあり方です。さらに踏み込んでしまうと、生困法に基づいて公的資金をつかうならば、より貧困の世代間連鎖に陥りやすい複合的課題を抱えた子どもたちにこそ、焦点を当てるべきなのではないかと考えています。
こういった視点に立つならば、今回の改正で「学習」に「生活」が加えられ、子どもの育成環境も含めた支援を行なうべきであることが明記されたのは、大きな前進です。
ただし、「育成環境も含めた支援」をどう捉えるかは解釈が分かれるところで、たとえば保護者と進学に関する三者面談をするといった、塾で実施している内容をそのままやることを育成環境も含めた支援としてしまうことも考えられます。実際に、法改正があることがわかっているにも関わらず、一般的な学習塾と同じ事業内容を行なっている自治体もあります。
また、「育成環境も含めた支援」を機能させるためには、社会福祉等に関する専門性をもったスタッフの配置、複合的な課題に対応するための関係機関の連携の2つが欠かせません。
 
  • 関係機関間の情報共有を行う会議体の設置

 

上の関係機関の連携をスムーズにしていく上で推進剤になりそうなのが、関係機関で情報共有をする会議体が法定されたことです。

何がいいかというと、会議体の構成機関同士であれば、支援対象者の同意なく、ケースの情報を共有できること。たとえば、ケアが必要な子どもがいたときに、多くの子どもにとって主要な関係機関・つながりである学校に対して情報共有したり、学校で把握している情報を共有してもらうことをお願いするのは、定石と言っても過言ではありません。しかし、前者はともかく、後者は一筋縄ではいかないことがあります。学校によって対応が分かれるというのが実態で、協力的な学校は子どもの情報を教えてくれる一方、学校からの一切の情報提供をシャットアウトされてしまう場合も。

こういう状況に対して、新たに法定された会議体ができることで、学校などの関係機関との情報共有がやりやすくなり、それぞれが持っている情報を組み合わせて事実に即した支援方針を考えられるようになったり、「〇〇機関は子どもとの関係が良好だから〇〇の役割を」という具合に、関係機関で役割分担をして連携プレーで対応できるようになることが期待できます。

よくある状況として、周りから見れば問題があるけれど、当の本人たちが困り感を出していないことがあります。たとえば、子どもは母親のパートナーに手をあげられることがあるようだけど、よくあることだから大丈夫と、本人も母親も問題意識を感じていない。そういう場合には、色んな関係機関が関係を保ちながら情報を共有し合い、何かあったときには連携できるチームアプローチが大切になります。

期待の一方で、たとえば学校との連携を考えたときには、どういう会議体のあり方がよいのか、悩ましさも感じます。すべての学校が入ることは現実的でない。じゃあ教育委員会が構成員になるのか。でも、教育委員会と学校の関係も外から見ると複雑なところがあり、教育委員会が右と言えば、学校がそれに従うという構造でもない。そうなると、会議体の意味も形骸化してしまう可能性があります。

ちなみに、宮城県内にはすでに数年前から関係機関の連携会議が存在しているので、そこに更に多様な関係機関が構成員として加わり、情報共有に関する法的な後押しがなされていくイメージでしょうか。

 
  • 生活困窮者の定義の明確化
 
これまで、生活困窮の定義は少しあいまいなところがありました。それによって、自治体によっては、生活保護を受けていること、児童扶養手当を受給していること、など子どもの参加要件が硬直化し、実質的に困窮度が高く、子どもが将来も困窮に陥るリスクが高いにも関わらず、受け入れることができないというケースも発生しました。
たとえば、両親ともそろっているけれど、精神疾患があり、どちらも働いてはすぐ辞めるの繰り返しで収入は不安定。本来は生活保護水準であるにも関わらず、生活保護への心理的な抵抗が大きくて申請はしない。でも、子どもは学校も中退し、もう数ヶ月何もしないで過ごしている。。。
今回の定義では、「就労の状況、心身の状況、地域社会との関係性その他の事情により、現に経済的に困窮し、最低限度の生活を維持することができなくなるおそれのある者をいう。 」というように、就労の状況以外も明示されたことで、実質的な困窮度に応じて利用者を受けいれやすくなる可能性が高まりました。
問題は、7人に1人が貧困といわれる中、そもそも現場で受けとめられるキャパシティには限界があり、参加要件を絞らなければパンクしてしまったり、相対的に困窮度合いの低い層で定員になってしまう可能性があるので、現場の運用レベルで考えると対象者を絞らざるを得ないという事情があることです。また、実質的には困窮しているかどうかをどういった基準で判断するのかが難しいという状況もあります。自治体が提供するサービスであるならば、客観的なモノサシがないと説明責任を果たせないという理屈には、確かにと頷ける部分があります。
 
  • 次期改正での必須化に向けた議論の可能性
 
これは、今回の改正ですぐに変わるというものではありませんが、参議院厚生労働委員会の附帯決議では、「各任意事業の実施率を高めつつ、地方自治体間格差の是正を図りながら、次期改正における必須化に向けた検討を行うこと。」という文言が明記されました。
冒頭のとおり、平成28年度時点での学習支援事業の実施率は半分程度です。財政力のない自治体、人口10万人未満の自治体では、特に事業の実施が難しい状況があります。僕が知っている範囲でも、担当課はこの事業の必要性を十分理解しながら、財政部局のカベ、首長のカベが突破できずに未実施のままという状況が多々あります。「学習支援事業が必須事業になればいいのに」と口にする福祉部局の担当者も少なくありません。
個人的には、必須化が手放しで喜べるかというと、懸念もあるというのが正直なところです。まず、事業の柔軟性が損なわれてしまう可能性があること。生困法の学習支援事業は面白いつくりになっていて、大まかな方針や加算事業は定められているものの、具体的な事業設計は各自治体の状況にあわせて柔軟に組み立てることができます(さいたまユースサポートネットの青砥代表は「フレーム法」と表現されていました)。それによって、学校の中で学習支援事業を実施する自治体があったり、フリースクールを生困法で運営する自治体があったり、利便性の悪い郡部で訪問支援だけを実施する自治体があったりと、さまざまな創意工夫を生み出してきました。自治体が型どおりの仕様書を出して、下請けに出すという構造ではなく、現場のNPOなどがそれぞれの強みや地域の実態・状況にあった提案をして、自治体と協働で事業をつくっていくという、市民社会の醍醐味みたいなものが実現されやすい制度だと思います。それが必須化となった場合に、一律のやり方、一律の指標による管理にならないか、不安があります。
また、事業を実施しているというアリバイ作りのために、形だけの事業が広がってしまわないかという懸念もあります。実際にある自治体では、学習支援事業をやっている自治体が増えている中、自分たちだけやらないのはまずい。でも予算はかけたくないので、数十万円でやれる方法を探す、という話になりかけたことも。本来の目的・趣旨に照らして、効果の出にくい内容で形だけ事業が広がってしまうならば、本末転倒です。
とはいえ、必須化でもしなければ動かなそうな自治体があるのも実際のところ。自治体と対等に話し合い、事業をつくっていけるNPOなどが増えた段階で、フレーム法の良さを残すよう十分に注意しながら必須化、というのが理想ではないかと、感じるところです。
 
ちょっと備忘録的に、と軽い気持ちで書き始めて、数時間。なかなかのボリュームになってしまいました。。。
ここで書いた内容以外にも、生活保護を受けていても大学に進学しやすくなったり、さまざまな改正がなされていますので、関心のある方はこちらのページをご参照ください。