アスイク 代表のブログ

こどもの貧困問題、NPOの経営、生き方在り方などについて。

社会起業家には、いじめられた経験のある人が多い。

という調査結果があるわけではないので、本当にそうかはわかりません。

でも、サンプル数は少ないですが、僕の身近な人たちには結構な確率で当てはまるんですよね。

 

かくいう僕自身も、そのサンプルのひとりです。

 

小学4年生のころ。

当時の僕は「いじめ」という言葉を知っていたか定かではありません。

ただ、ぎゅっと身体が縮こまるような、平衡感覚を失って宙に放り出されたような感覚は、大人になった今でも体に染みついていて、それを「いじめ」という言葉とともに思い出すことができます。

 

いじめられた理由は明白です。

僕は警察官だった父親の転勤で、福島県の地方都市から会津の奥地の小学校へ転校しました。人口3,000人にも満たない里山の、10人ちょっとしか同級生のいない学校。

毎日山や川で遊んでいるクラスメイトは、みんな真っ黒に日焼けしていて、それに対して僕はもともと色白で、身体的特徴が明らかにみんなと違っていました。

転校生なんて滅多に来ない学校。よそ者を絵に描いたような子どもだったと思います。学芸会でオオカミとヒツジ役を決めるときには、僕の希望なんて関係なく、自動的にヒツジ役。昼食のときが苦痛で、「おかま、こっちに来るなよ」とのけ者にされ、独りぼっちで教室の隅っこで食べていました(陽だまりが暖かかった)。担任のおじいさん先生は、僕のことなんか関心なし(と、少なくとも僕からは見えていた)。

放課後は、行くところなんてどこにもない。信号が町に2つしかなくて、コンビニもない。そんな場所で、放課後に独りぼっちで、どこにも行くところがない。誰も助けてくれない。我ながら、ヘビーな状況だったなと感心します(笑)。

 

そんな僕にも、ようやく友達ができました。人一倍小柄で、彼の胸には大きな手術の痕。授業中に電車が通ると、独特のしぐさで奇声をあげる。あるとき、彼は無賃乗車をして遠く離れた駅で保護され、駐在所に勤めていた父親が連れて帰ってきた記憶があります。

全校生徒が数十人のその学校には、今でいう特別支援学級はなく、彼のような子どもも同じ空間で過ごしていました。彼も僕と同じで、独りぼっちでした。

 

そんな生活も、1年くらい経つとだいぶ変わるもの。僕はヒエラルキーの頂点に近いところにいました。テストは常に1番。父親の影響ではじめた剣道も地域には敵なし。まさに、お山の大将です。コツコツ努力して、上にのし上がっていこうとする猿山スタイルは、このころに身についたのかもしれません(苦笑)。でもそれは、僕にとっては生きていくための「生存戦略」でした。

 

彼とは、日に日に疎遠になっていきました。彼が僕にどんな感情を抱いていたかは、定かではありません。自分自身のことなのに変な表現ですが、僕は子どもながらに、子ども社会の分かりやすい現実を体験しました。彼への罪悪感まではないけれど、ずっと引っ掛かりがあって、今日のように何かの拍子にふと思い出すことがあります。

 

この町には、彼のほかにも、色んな子どもがいました。

 

父親が亡くなって、母親とその実家に転居してきた子ども。

派手な格好をしている母親と、ほとんどお風呂に入っていなくて強烈なにおいを発していた兄妹(今でいうネグレクト)。

ある被差別階級出身の子ども(と先生が言っているのを耳にしてしまった)。

 

思い起こすと、本当に色んな事情を抱えた子どもがいた気がします。

 

そういった子どもたちとの出会いが、今の僕にどういう影響を与えているかは、よくわかりません。少なくとも、彼らを支援が必要な人たちという見方はまったくしていなかった。むしろ、同じ学校に通う子どもというフラットな感覚の方が近い。

ただ、僕の人生に、彼らがいたというのは、まぎれもない事実で、もしそれがなかったら、さまざまな背景をもった子どもたちに「何となく気になる」感じをもつということ、そのものがなかったかもしれません。

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(中1まで4年間暮らしていた、駐在所兼自宅。駐在所に人が住めるんです)

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(町唯一の商店街。周りは山ばかり。射殺されたクマを目撃したのは衝撃だった)