アスイク 代表のブログ

こどもの貧困問題、NPOの経営、生き方在り方などについて。

インド紀行 Part1

2月2日から10日の間、国際交流基金(Japan Foundation)の日印社会企業家交流事業のメンバーとして、インドに派遣していただきました。

 

9日間の視察といっても、かなりの過密スケジュールであちらこちらを回り、10人以上の同行者が通訳を介して質問をするような状況。しかも、街中でのインタビューでは周りに野次馬のインド人が群がるような場面もあり(笑)、1対1で深く相手の声に耳を傾けるスタイルを好む僕としては、正直消化不良感が残っているのですが、出会った起業家や市井の人々などから感じた、僕なりのインスピレーションを少しでも紡ぎだせればと思います。

(情報の聞き間違え、事実と違う表記など多々ある可能性がありますので、その前提でお読みいただければ幸いです)

 

実はインドに来るのは、人生で2度目。海外旅行も2回目。つまり、インドにしか行ったことがないという不思議な人生なのですが、1回目のインドは大学生のときの1人旅でした。その時は、現地の怪しげな旅行代理店につかまり、自分がどこにいるかもわからない状態であちらこちらをひっぱりまわされたり、途中で捨てられたり、そのあともいろいろあって散々な目にあいまして、「インドなんて二度と行くもんか」と思ったものですが、まさかこんなカタチで再び訪れるとは、何とも奇妙なご縁です。

 

さて、初日に訪れたのは、デリーのスラム街。僕は勘違いしていたのですが、スラムには、公有地を無断で占拠しているところ、下水などのインフラが未整備なところ、人口密度が高いところなど、いくつかの定義があって、必ずしも掘立小屋が乱立しているような場所に限らないのだそうです。僕たちが訪れたスラムも、どちらかといえば環境の良い方で、石造りの建物が立ち並ぶ地域でした。

f:id:Yusuke_Ohashi:20130203125830j:plain

MANZIL KE RAHENというNGOは、このスラムで子どもの教育と女性の自立支援の活動をしています。

路肩に面した建物の地下に入っていくと、20人くらいの子どもたちが集まっていました。

f:id:Yusuke_Ohashi:20130203132938j:plain

この放課後教室には、学校には通っているけれど、読み書きなどに問題がある子どもたちが集められているそうです。

親も子どもへの教育には熱心でないことが多く、勉強をしている暇があるのであれば、少しでも働いて家計を支えてほしいと考えていることもあるようで、ソーシャルワーカーNGOスタッフが何回も親を説得して子どもを参加させると話していました。

これは、通訳として同行してくれた方から聞いた話ですが、インドの公立学校は教師の質が非常に悪く、授業中にろくに勉強も教えない教師もいるありさまにも関わらず、テストはやたらと厳しくて、半数以上が小学校段階でドロップアウトしてしまうのだそうです。

この教室、写真のとおり、石の床に大きな絨毯が広げられているだけの極めて質素なつくり。そこに子どもたちが座って、先生役のNGOスタッフから基本的な読み書きを教わるのですが、年長の子どもが下の子どもに教えたりと、子どもの主体的な関わりによって少ないスタッフの問題をカバーする工夫もされています。

子どもたちは生き生きとしていて、人を助けるために「医者になりたい」、「先生になりたい」、家族を養うために「軍隊に入りたい」(インドでは軍人のステータスが高く、軍人専用の保育所などの福利厚生も充実しているそうです)と、率先的に自分の夢を語っていました。「夢があったからここに来たのか?それとも、ここで夢を見つけたのか?」と訊くと、「ここで見つけた」と声を合わせた子どもたち。横や縦のつながりが、子どもの可能性を開くことを、改めて見せつけられた気がしました。 

 

この教室から少し離れたところあるのが、女性たちが手仕事をする作業所です。

f:id:Yusuke_Ohashi:20130203134625j:plain

地域の主婦たちが集まり、空いた時間で手仕事をすることで、収入を得ています。といっても、1日に稼げるのは50〜100ルピー(90円〜180円)、月で1,000〜3,000ルピー。月10,000ルピーで中の下くらいの生活ができるらしいので、家計の足し程度の金額のようです。

むしろこの場の価値は、収入よりも相互扶助のコミュニティ形成でしょう。

女性同士がお互いに悩みを相談し合う場になっているだけでなく、セルフヘルプグループという共済の仕組みを取り入れており、ここでの収入の半分をみんなで拠出して、急な出費が必要になったメンバーに貸し出しをしています。日本の結にも通じる考え方ですね。

僕が印象的だったのは、女性が語った「安全」という言葉でした。女性が一人で仕事をしたりすると暴力を受ける可能性もある。そういった暴力から守られながら、仕事ができるのがこの場なのだそうです。

また、ある未亡人の女性は、「夫が亡くなった後に何もすることがなかったが、このNGOで電話受付や寄付集めなどの役割を見つけることができた」と語っていました。

社会的に弱い立場に置かれた人々が、つながり、お互いに助け合い、役割を見つける。そんな社会的包摂の場が生み出されていました。

 

僕にとって、このNGOの印象は、発見というよりも既視感に近かったかもしれません。

東日本大震災の被災地で広がっている子どもの教育サポート、女性たちの手仕事づくり。そこにいる人たちがインド人でなく日本人ならば、これは被災地の光景と重なるのではないか。やや極端ではあると思いますが、市民レベルの相互扶助はどこでも同じように広がっていくのだなぁとおぼろげに感じました。

もっとも、インドにもこういったNGOの根が広く張り巡らされていて、草の根レベルで相互扶助が機能しているということ自体が、僕にとっての発見だったということももう一方で告白しておかなければなりません。恥ずかしい話、インドで市民活動がここまで活発だとは思っていませんでした。(この後に紹介するivolunteerのラフールさんによれば、インドのNGO数は100万!らしい。もっとも、ちゃんと機能しているのは5万程度という話でしたが)

 

このスラムを後にして訪れたのは、インド有数のショッピングセンター。なぜショッピングセンター?という疑問はごもっともですが、もちろん、いきなり観光ではありません。貧富の差を体感するというプログラムの一環です。

f:id:Yusuke_Ohashi:20130203150842j:plain

日本の大手デベロッパーも顔負けのショッピングセンター。日本でもよく見かけるテナントもたくさん入ってました。なんと、入り口のゲートでは手荷物検査もされます。インドの高度経済成長の一つの象徴、なのかもしれませんね。

f:id:Yusuke_Ohashi:20130203172753j:plain

そして、このショッピングセンターと道路を挟んで向かい側に広がる光景。

ストリートチルドレンが何人も路上にいて、「マネー」と叫びながら洋服をひっぱります。写真左下の小さな子が、なぜか自分の子どもとオーバーラップしてしまい、ほんの一瞬、言葉にできない悲しみに襲われました。自分たちの物差しで、この子達を下に見るような考えをもってはいけないという気持ちを抑えつけながら。

 

次に会ったのは、インドで高等教育を受けた中間層以上のボランティアをコーディネートしているiVolunteer http://ivolunteer.in/index.html のラフールさん。(写真中央)

世界的な社会起業家の支援組織、アショカ財団のフェローにも選出されています。

f:id:Yusuke_Ohashi:20130203194338j:plain

前述のとおり、インドにはNGOが数多く存在しますが、ほとんどは農村部で活動。中間層以上は関わらないという状況に対して、iVolunteerが媒介となって、都会の若者や大企業の役員などをNGOに橋渡しをしています。ボランティアを通して、農村と都市の分断をつなぎ合わせ、農村の問題を知った若者や企業人たちが、新たな取り組みをはじめることで社会に還元していく。そういった循環を生み出しています。

また、先進国から途上国へという流れとは逆の、途上国から先進国へのボランティアの流れも生み出しているそうです。

おそらく彼が仕掛けているのは、異なる立場におかれた人々の間で経験の交流を促し、そこから新しい問題解決の動きが生まれる火種をつくり出すことなのだろうと認識しました。

僕個人の関心は、なぜ彼が広大なインドで中間層が農村部へボランティアをするという動きを広げることができたのか、ということだったのですが、ラフールさんによれば、「たとえばデリバリーなど、基本的で大事なことをもっとよくしたいと改善しつづけた結果であり、クリエイティブでフレックスでモチベートされたスタッフを邪魔しないことであり、スケールアウトしなければならないというプレッシャーを反動にして実現したことではない」とのこと。常々大きな目標とのギャップにばかり目を向け、意識的にも汲々としている僕にとって、この彼のリーダーシップに触れられたことは救いにも似た感覚を与えてくれたと思います。ギャップに目を向けるのではない。あるべき品質と、事業を推進する人に意識を向ける。その先の結果は、単なる結果なのだ。そんなメッセージを(勝手に)得て、この場を後にしました。

 

〜Part2につづく〜