アスイク 代表のブログ

こどもの貧困問題、NPOの経営、生き方在り方などについて。

人生を共有し合うセッション

「支援者同士が、お互いの成育歴とかどんな人間か理解する機会があるといいです」。

スタッフからの提案で、相互理解セッションを開催しました。

 

提案をしてくれたスタッフは、児童養護施設で働いた経験もあるのですが、その施設では支援員同士がお互いを理解することにかなり時間をかけていたそうです。

 

普段なかなか話す機会のない自分のことを開示をするために、いつもと違った雰囲気がいいだろう。

ということで、秋保にある木の家というロッジを借りました。

写真をご覧いただくと分かる通り、自然が豊かで、プライバシーも守られる環境で、研修にはもってこいですね。

 

安心して自己開示できるように、「守秘義務」、「評価しない」、「無理に話さない」というグランドルールを確認。

その後は、順番に人生のハイライトをその時の感情とともに、共有していく時間を持ちました。

 

もちろん守秘義務があるのでご紹介することはできませんが、家族との関係が今の仕事につながっているスタッフが多いことに改めて気づきました。

深い話を開示してくれるスタッフもいて、正直驚いたりもしましたが、みんなを信頼して話してくれたことが嬉しかったです。

 

参加したスタッフそれぞれにとって、この組織が大事な場なんだと感じ、今まで以上にみんなにとっていい組織をつくっていきたいという気持ちが湧いてきました。

 

f:id:Yusuke_Ohashi:20180707223927j:plain

 

f:id:Yusuke_Ohashi:20180707223949j:plain

 

f:id:Yusuke_Ohashi:20180707224011j:plain

 

f:id:Yusuke_Ohashi:20180707224026j:plain

NPOなのに、拡大することが大事な理由

最近はというと、、、

新しい事業を立ち上げる準備をしながら、順調にカベにぶつかってます。

こういう時に限って「なんとかしてやるぜ」とアドレナリンがあふれるのは、やっぱり今の仕事が向いているんでしょうかね。。。

 

と、忙しいことを言い訳に、せっかく始めたブログもすっかりご無沙汰してしまいました。

続けるのって、ほんとにカンタンじゃないですね。

「更新されてないかなって、頻繁にブログを覗いてますよ」って声をかけてくれた職員に、陰口をたたかれてるんじゃないかと気になって仕方がない日々です。

 

ブログは続いていませんが、経営は順調につづいています。

先週の理事会で、7期目となる2017年度の事業報告、決算を承認いただきました。

(ムリヤリ感満点の導入ですみません。久しぶりで腕が衰えてます笑)

 

2017年度は、宮城県など複数の自治体との協働事業がはじまったことが影響して、アスイクが事業を行なうエリアがかなり広がりました。

予算規模も対前年度140%くらいの増加となり、雇用するスタッフやボランティアもそれなりに増えています。

 

もちろんNPOはミッション(ビジョン)・オリエンテッドなので、大きくなることが目的ではありません。

しかし実際に経営をしてみると、以下のような理由から大きくなっていくことも大事だな、と思う今日この頃です。

 

  • ボランティアも含めたスタッフや、事業に関わってくれる組織が増えることで、社会への影響力が増し、貧困に対する社会的な関心も高まっていく。(この点はもっと言葉を足して、改めて整理したいと思ってます)
 
  • 同じ事業の繰り返しになると、組織に停滞感が生まれて、職員が現状維持志向になってチャレンジを避けたり、キャリアの先行きが見えなくなって優秀な職員ほど離職するようになってしまう(のではないか、と僕が恐れている)。
 
  • 企画公募において、特に自治体は、組織の規模や安定性を気にする。全国展開の企業と戦うことになったとき、組織の規模が結果を左右するファクターになることもある。(これについては、実際にある自治体の部長クラスから「やっぱりどうなるかわからないNPOは組む相手として不安」と言われたことがあります)
 
  • 職員の能力開発を進めていく上で、あるいは人間関係の問題などが出たときに対応する上で、ある程度の規模がないとオプションがなくて苦しい。
 
  • 事業をやればやるほど、足りないもの、あったらいいものが見えてくる。
 
  • 代表が新しいことをどんどんやってみることが好き(笑)。
 

言うまでもなく、すべてのNPOがどんどん事業を拡大するべきだとは思ってませんし、それぞれの組織が掲げる目的や色に合った方向性が尊重されるべきです。当然、規模が大きくなることの弊害、難しさも出てきます。

弊害というか、新しく生まれてくる課題については、また別の機会に書いてみたいなと思います。

 

どんどん書きたいことが出てきますね。。。自分の首を絞めてる感じが。。。

 

中途半端な締め方になってしまいましたが、2017年度の事業報告は下記からご覧いただけると嬉しいです。

 

asuiku.org

 

 

法人設立8年目にして…

はじめて、入社式をやりました。
 
4月に入社した、5人の新しい仲間。
そのうち2名は、なんとこれまた初めての新卒採用。
新卒の募集をしていないのに、応募してきた猛者(?)です。
 
1人は、もとからアスイクのパートスタッフで働いていた教員志望の学生。
7年前の震災で被災し、カタリバが運営する女川向学館でいろんな大人に支えられてきたそうです。
自分が大事にしたいことができるのは教員よりも、アスイクと感じたらしく、僕に直談判してきました。
 
もう1人は、大学で福祉を学んできた学生。
生活困窮者の支援に関わる仕事をしたいと考えている中、アスイクというNPOがあることを知り、
いきなり電話してきました(笑)。
某コーヒーチェーンでアルバイトリーダーを任され、店長にかわり、クレーム対応から集客イベントまでバリバリこなしてきたそうです。
 
いやはや。
内定は出したものの、計画通りに事業が立ち上がらなかったら、資金調達できなかったら、、、内定取り消しなんて事態になったらどうしよう...。年末くらいから、それはもう悶々とする日々でした。
 
晴れてこの日を迎えられて、本当に肩の荷がおりました(まだ降ろしちゃいけないか)。
 
この他にも、個性派ぞろいの新メンバー。
 
児童養護施設の職員やスクールソーシャルワーカーとして、“その道”を歩んできた女性。
 
自分のアレルギー体験から、人と同じことができないコンプレックスを糧にして、管理栄養士になった女性。
 
まったくガツガツしてないのに、不動産業界でトップ営業になり、支店長となった後も全国有数の支店をつくった男性。
(入社日直前に網膜剥離で入院したため、1週間遅れての入社になります笑)
 
嬉しいのは、みんな、ボランティア、パートスタッフ、連携先といったカタチでアスイクに関わっていた人たちだということ。
自分の目でみて、働く場所として選んでくれたのは、うちのメンバーが魅力的な場所をつくってくれているからに違いありません。
 
これまでの7年間、思い出すだけで血反吐が出そうなこともたくさんありましたが(笑)、
折れずにつづけてこられて、本当に良かった。
苦しかった当時の自分に、「まぁ、そのうちいいことあるから、信じて耐えろ」と言ってあげたいです。

f:id:Yusuke_Ohashi:20180402130818j:plain

 

社会起業家には、いじめられた経験のある人が多い。

という調査結果があるわけではないので、本当にそうかはわかりません。

でも、サンプル数は少ないですが、僕の身近な人たちには結構な確率で当てはまるんですよね。

 

かくいう僕自身も、そのサンプルのひとりです。

 

小学4年生のころ。

当時の僕は「いじめ」という言葉を知っていたか定かではありません。

ただ、ぎゅっと身体が縮こまるような、平衡感覚を失って宙に放り出されたような感覚は、大人になった今でも体に染みついていて、それを「いじめ」という言葉とともに思い出すことができます。

 

いじめられた理由は明白です。

僕は警察官だった父親の転勤で、福島県の地方都市から会津の奥地の小学校へ転校しました。人口3,000人にも満たない里山の、10人ちょっとしか同級生のいない学校。

毎日山や川で遊んでいるクラスメイトは、みんな真っ黒に日焼けしていて、それに対して僕はもともと色白で、身体的特徴が明らかにみんなと違っていました。

転校生なんて滅多に来ない学校。よそ者を絵に描いたような子どもだったと思います。学芸会でオオカミとヒツジ役を決めるときには、僕の希望なんて関係なく、自動的にヒツジ役。昼食のときが苦痛で、「おかま、こっちに来るなよ」とのけ者にされ、独りぼっちで教室の隅っこで食べていました(陽だまりが暖かかった)。担任のおじいさん先生は、僕のことなんか関心なし(と、少なくとも僕からは見えていた)。

放課後は、行くところなんてどこにもない。信号が町に2つしかなくて、コンビニもない。そんな場所で、放課後に独りぼっちで、どこにも行くところがない。誰も助けてくれない。我ながら、ヘビーな状況だったなと感心します(笑)。

 

そんな僕にも、ようやく友達ができました。人一倍小柄で、彼の胸には大きな手術の痕。授業中に電車が通ると、独特のしぐさで奇声をあげる。あるとき、彼は無賃乗車をして遠く離れた駅で保護され、駐在所に勤めていた父親が連れて帰ってきた記憶があります。

全校生徒が数十人のその学校には、今でいう特別支援学級はなく、彼のような子どもも同じ空間で過ごしていました。彼も僕と同じで、独りぼっちでした。

 

そんな生活も、1年くらい経つとだいぶ変わるもの。僕はヒエラルキーの頂点に近いところにいました。テストは常に1番。父親の影響ではじめた剣道も地域には敵なし。まさに、お山の大将です。コツコツ努力して、上にのし上がっていこうとする猿山スタイルは、このころに身についたのかもしれません(苦笑)。でもそれは、僕にとっては生きていくための「生存戦略」でした。

 

彼とは、日に日に疎遠になっていきました。彼が僕にどんな感情を抱いていたかは、定かではありません。自分自身のことなのに変な表現ですが、僕は子どもながらに、子ども社会の分かりやすい現実を体験しました。彼への罪悪感まではないけれど、ずっと引っ掛かりがあって、今日のように何かの拍子にふと思い出すことがあります。

 

この町には、彼のほかにも、色んな子どもがいました。

 

父親が亡くなって、母親とその実家に転居してきた子ども。

派手な格好をしている母親と、ほとんどお風呂に入っていなくて強烈なにおいを発していた兄妹(今でいうネグレクト)。

ある被差別階級出身の子ども(と先生が言っているのを耳にしてしまった)。

 

思い起こすと、本当に色んな事情を抱えた子どもがいた気がします。

 

そういった子どもたちとの出会いが、今の僕にどういう影響を与えているかは、よくわかりません。少なくとも、彼らを支援が必要な人たちという見方はまったくしていなかった。むしろ、同じ学校に通う子どもというフラットな感覚の方が近い。

ただ、僕の人生に、彼らがいたというのは、まぎれもない事実で、もしそれがなかったら、さまざまな背景をもった子どもたちに「何となく気になる」感じをもつということ、そのものがなかったかもしれません。

f:id:Yusuke_Ohashi:20130427165327j:plain

(中1まで4年間暮らしていた、駐在所兼自宅。駐在所に人が住めるんです)

f:id:Yusuke_Ohashi:20130427141611j:plain

(町唯一の商店街。周りは山ばかり。射殺されたクマを目撃したのは衝撃だった)

 

仕事に自分を合わせずに、自分に仕事を合わせる。

なんて言葉を、20代の自分に言ったら、たぶん怒ったでしょうね。

なにせ、座右の銘は「人生に期待するのは間違っている。人生があなたに期待している(※)」でしたから。

アウシュビッツから生還した精神科医、V.E.フランクルの言葉。

 

自分らしさ、なんて言葉は大嫌い。

人の役に立って、人から必要とされて、自分の存在意義がみえてくる。

だから、とにかく自分を中心に据える生き方を捨てなければならない。

そんな風に生きようともがいてきた結果、震災をはじめとしたさまざまな偶然が重なって、僕はNPOを経営することになったのでした。

 

過分な評価ですが、震災後の社会起業家の代表格と評価いただくこともありました。

それは、同時にプレッシャーにもなっていきました。

支えていただいたご恩に報いなければならない。

目の前にある機会や課題に、しっかり対応しなければならない。

周りからの期待に応えなければならない。

経営者としてのあるべき姿に忠実でいなければならない。

こういった思考の裏には、たぶん「恐れ」もあるのだと思います。

がっかりされたくない。

馬鹿にされたくない。

今の立場を失いたくない。

たとえば、そういった恐れ。

そして、こういったことが頭の大半を占めていくにつれ、傍目の順調さとは裏腹に、自分と仕事のつながりが遠ざかるような感覚も増えていきました。

(これはNPO代表の「あるある」だと思ってます)

 

数年前、あるワークショップで突きつけられた言葉があります。

「あなたを見てると、仕事をしているのが辛そうだ」

初対面の人にそんなこと言われたくない、と怒りがこみ上げました。

でも、実は自分への怒りだったのでしょうね。

自分でもうすうす勘づいていた。

 

それから色々なことがあって、「頭」と「体」と「心」のバランスを大事にしながら生きていくことを意識するようになりました。

達磨落としのように、この3つが積みあがっているイメージ。

やっぱりバランスを崩してしまうことがありますが、でもバランスが崩れていることに気づけるようになったのは、僕にとっては大きな進歩です。

 

だいぶ前置きが長くなってしまいましたが、こういったプロセスの中で「本当の仕事」というワークショップに参加してきました。

タイトルだけ見ると怪しさ満点かもしれませんが(笑)、日本で最も有名なコーチング会社であるCTIジャパンを創設した榎本英剛さんという方の思想をベースにしたワークショップで、わかりやすく深みのある内容です。

 

僕の浅はかで偏りのある理解ですが、理由もないけど好きなこと、時間が経つのを忘れてしまうこと、言葉では説明できないけど惹かれてしまうこと(ワークショップでは「純粋意欲」と呼びます)に忠実に生きようというのが、大きなメッセージだったと思います。

 

で、タイトルに戻るんですが、僕も含め、ほとんどの人は仕事に自分を合わせて生きていると言っても過言ではないでしょう。

でも、本当にそれは正しいことなのか。実は自分の純粋意欲をしっかり受け止め、それに合うような仕事を探したり、つくったりする。あるいは、今の仕事への向き合い方を変えてみる。つまりは、自分に仕事を合わせるという生き方も選べるのではないか。

 

自分に仕事を合わせると、今まで固定観念に縛られてきた仕事の見え方(ワークショップでは「メガネ」という表現を使います)が変わってきます。

仕事は一つじゃなければならない、というわけではない。

仕事はお金につながらなければならない、というものでもない。などなど。

 

僕はこのワークショップに参加して、大げさかもしれませんが、これからの人生が楽しみになりました。自分には、自分の生き方を選択できる自由とか、チカラがあると感じた気がします。同時に、今の仕事をまた新しい角度からとらえ直すことができ、やりたいことがたくさん溢れてきました(笑)。

 

ワークショップから帰る途中、ふと頭をよぎった恩師でもある加藤哲夫さんの言葉。

何か通底するものがあるなと感じました。

 

「無意識にひかれるものってあるじゃない。"なんとなく"を、大切にしてください。行ってダメだったら、別のところにいけばいいのです」

「何が気になるかは、わからない。わかる必要はないんです。気になることの方向性に歩んでいけばいい。そうやって20年やってきたら、足跡がひとつながりになって、なんで気になったのかな、ということがようやくわかってきます」

 f:id:Yusuke_Ohashi:20180309000307j:plain

(ワークショップの開催場所は、waccaという素敵なイベントスペース。オーナーさんの自宅でもあるんですが、そのストーリーが本当に感動的で、涙を抑えらえない参加者もいました)

 

インド紀行 Part3

さて、インド紀行第3部(後づけ)も、今回でようやく終了です。

f:id:Yusuke_Ohashi:20130205091337j:plain

ちょいと疲れてきたので、パピーのいやしショットで一息。

が、インドって狂犬病で亡くなる人が世界一多い国なんだそうです。確かに、町中に野良犬が寝転がっていました。「たぶん大丈夫だけど、夜になると狂暴化するから気をつけて」。そんな現地スタッフからのアドバイスを思い出してしまうと、こんなパピーにも多少ココロがざわつきます。。。

 

さて、一行はデリーから飛行機で2時間半。インド南部の都市、バンガロールへ。

まず驚くのは、デリーとは対照的な整然とした街並み。クラクションを鳴らして走る車もほとんどいなければ(デリーではクラクションを鳴らしていない車がレア)、道端に落ちているゴミも少ない。さすが、インドのシリコンバレーともいわれる都市です。

社会起業家の父ともいわれるビル・ドレイトンが創設したアショカ財団。そのインド支部であるアショカインディアは、閑静な町の一角にありました。日本の麻布十番を連想させるような、セレブ感ただよう町並みです。

f:id:Yusuke_Ohashi:20130206162509j:plain

アショカは、ハイブリッド・バリュー・チェーンと呼ばれる、企業と社会起業家がタッグを組んで社会問題の解決を加速する手法を推進し始めています。

BoPと呼ばれる膨大な未開拓のマーケットである貧困層に対して、現場に近い社会起業家がその知見やネットワーク、効率的なオペレーションを、企業が製品・サービスを提供するというコンセプト。日本で僕たちが進めている動き方に、非常に近いものがあります。

本場でこのコンセプトを学べるとワクワクして、失敗例やコラボレーションのポイントを質問したのですが、答えをもらえないまま、時間が終わってしまいました。どうやらインドでもまだそこまでの知見が蓄積されておらず、また某世界的コンサルティングファーム出身者がほとんどを占めるアショカでは、あまりそのあたりの情報をオープンにしないのではないか、とのこと。これには、ひじょうにガックリきました。

f:id:Yusuke_Ohashi:20130206150800j:plain

モヤモヤした気持ちのまま、次のミーティングへ。

 

ソーシャルベンチャーパートナーズ(SVP)インディアのメンバーとのダイアログ。

f:id:Yusuke_Ohashi:20130206174142j:plain

SVPは、シアトル発祥のソーシャルベンチャー支援組織。民間企業のプロフェショナルを中心としたパートナーが、お金、専門性、時間を投資して、ソーシャルベンチャーの成長をサポートする活動です。日本にも、SVP東京 http://www.svptokyo.org/ SVP四国が立ち上がっています。

 

SVPインドはまだ立ち上がったばかりのようでしたが、何億という資産を築いた起業家や某大企業のトップマネジメントの関係者が関わっていたりと、日本とはまた違ったスケール感にやや圧倒されてしまいました。

 

しかし、どうやらインドでも景気後退の後にGrantやDonationが減ってきており、NGOやソーシャルベンチャーの資金調達も苦しくなってきているようです。

地方で子どもたちのLearning Centerを運営し、その運転資金を都市部に建てた図書館からの収益でねん出している教育NGOの事例などは、なかなかに面白そうでした。(NGOが図書館の株式の51%を保有しているらしく、インドではこんなこともありなんだ、と感心しましたが、日本でもあながち不可能なことではないかもしれません)

 

翌日に訪れたのは、同じくバンガロールにあるアユールヴェード医院。

インドにはアユールヴェードという伝統医療がありますが、対症療法的な西洋医療ではカバーできない生活習慣、生き方そのものにまで踏み込んだ療法です。これを現代に甦らせたのが、ラジブ氏。 

f:id:Yusuke_Ohashi:20130207110748j:plain

アユールヴェード医院の面白いところは、この伝統医療に近代的マネジメントの手法を掛け合わせ、高品質で再現可能な医療行為として普及させようとしているところです。元モトローラインドのCEOという経歴をもつラジブ氏。元々モトローラ社が開発したシックスシグマという品質管理手法を応用し、経験・暗黙知にたよりがちだった伝統医療を標準化しています。

また、西洋医療にくらべて医療費自体も格段に安いため、保険会社とも提携してより多くの人がこの伝統医療を受けられるように仕掛けているそうです。

 

この視察ツアーも、いよいよ最後です。

占めは、古着などを農村部へ提供しているグーンジュ。http://goonj.org/

f:id:Yusuke_Ohashi:20130208101618j:plain

農村地域にリサイクル品を届けるチャリティ活動かと思いきや、「洋服は通貨」という一瞬「?」な思想が飛び出します。

グーンジュでは、タダでリサイクル品を配るということをしません。リサイクル品を提供する代わりに、村人たちが地域清掃をしたり、橋を建てたり、必ず村人主体のプロジェクトを実施することを求めます。なぜでしょう。

f:id:Yusuke_Ohashi:20130208112646j:plain

その理由を語る、元ジャーナリストのアンシュ氏(アショカフェロー)。

アンシュ氏は、「尊厳を守るためだ」と端的に語ります。無償の施しを与えられ、村人たちの尊厳を傷つけてはいけない。これは、以前のブログに書きましたが、僕たちも無償の支援による負の側面に気づいていたため、心の底から共感する言葉でした。

ある日、極寒の農村地帯で村人が凍え死に、その遺体に寒さをしのぐため子どもが抱き着いて寝ている光景を目の当たりにし、この活動をはじめたそうです。

そこまで深く聞き取れなかったのですが、おそらく彼は、衣服を提供することで凍死という尊厳のない死をふせぎ、さらに施しを与えないことで村人たちの尊厳を守る。そんな風に、「尊厳を守ること」を軸に据えて、この事業を組み立てたのではないでしょうか。

貧困層にリサイクル品を提供する事業じゃないんです。何のための事業なのか。その核を研ぎ澄ませることが、どれだけ事業に深みと共感をもたらすか。アンシュ氏との短いやり取りの中で、考えさせられました。

 

以上、かなりあっさりでしたが、9日間のインドでの体験です。

あらためてまとめてみると、やはり表面的な理解で終わっているな、と少しだけ侘しい気分になります。

でも、限られた情報の中にも、何か大きな道筋がぼんやりと見えてきたような感覚もあったと言いたい。

 

リサイクル品を通して、農村にすむ人々の尊厳を守ることを目指すグーンジュ。

村の起業家のチカラを引き出して持続可能な村を目指すドリシュテ。

 

彼らから、「社会的な弱者への支援」という言葉は一言も発せられなかった。

支援する、される上下関係ではなく、おなじ社会の一員としての対等さ、可能性を信じ、それを事業活動を通して体現している。

だからこそ、これだけ多くの人に受け入れられ、影響を与えている。

 

そして、

スケールアウトは、目の前の凡事に徹底し、スタッフのモチベーションを邪魔しなかった結果だと語るアイボランティアのラウール氏。

できないことをできないと正直に言い、村の起業家自身の目的の実現をサポートすることを大切にしているドリシュテのスタッフたち。

 

圧倒的な社会インパクトは、信頼、凡事徹底、人のチカラ、そういった小さなことの積み上げにすぎないことを、身をもって示している。

 

これだけのすごい取り組みを表すには、ちょっと感傷的で輪郭のぼやけた言葉かもしれません。それでも僕にとっては十分すぎるくらい、この先の道を示してくれた気がします。

 

もう、そろそろインドじゃない国にも行ってみたいと思います。とか言ってると、またお呼びがかかりそうな気も。そういう人生なんです、きっと。

f:id:Yusuke_Ohashi:20130204164651j:plain

インド紀行 Part2

インドのアショカフェロー iVolunteerにつづいて訪れたのは、マトゥラというデリーの南部にある小都市。

道を走っているだけで、観光案内人がひっきりなしに声をかけてくる町。インドに来たなぁと、やっと12年前の記憶といまがオーバーラップしてきました。

 

そこから、さらに脳震盪を起こしそうなデコボコ道を突き進んでいきます。原野を通り越すと、写真のような原始的な村の光景が現れてきました。

f:id:Yusuke_Ohashi:20130204155140j:plain

こんな僻地に、いったい何があるのでしょうか。。。

行き着いた小さな町のキオスク(雑貨店)。どの町や村にもある雑貨店ですが、下手なデリーの店よりも圧倒的に豊富な品揃え。

f:id:Yusuke_Ohashi:20130204164146j:plain

こんなお店の仕掛け人となっているのが、ドリシュテ社です。http://www.drishtee.com/

ドリシュテは、インド北部を中心として、農村地域に広大な流通網を築き上げています。これまで農村部のお店は、自分たちで商品を仕入れに都市まで出なければならず、その結果として営業時間のロス、慢性的な品揃えの不足に悩まされ、村の人々は良くないものを高く買わざるを得ませんでした。

しかし、ドリシュテがあまりにも非効率で誰も手を付けなかった農村部への流通網を築いたおかげで、店の主は良い品を手間をかけずに安定的に仕入れることができ、村の人々も良いものを以前よりも安く手にすることができるようになっています。

ドリシュテのアプローチでユニークなのは、村の起業家をエンパワメントしていること。ドリシュテのスタッフが村長などのキーマンから紹介で、信頼され、エネルギッシュな村の起業家を探し当て、彼らを下から支えるカタチで自分たちの流通網を使ってもらうという考え方です。

そもそも、ドリシュテが目指しているのは持続的な村を築いていくこと。日用品の流通は彼らのサービスの1つでしかなく、IT教育、マイクロファイナンスなど、村の自立的な維持・発展に必要なサービスを複合的に提供しています。

こういったサービスをドリシュテが直接村の人々に提供するのではなく、村に存在する起業家を発掘、育成、仕組みで支えていくことで、広大なインドにシステミックな変化を起こそうとしているわけです。ドリシュテがサポートしている村の起業家は、14,000人以上。加速度的にこの数を増やし、ドリシュテという民間企業が圧倒的な社会変革を生み出しつつあります。

f:id:Yusuke_Ohashi:20130204160150j:plain

これは、同じ村にあるIT教育センター。左側の部屋では、ITの講義が行われ、右の部屋では、村に住みながらにして、下の写真のように実際にPCをつかった訓練を受けることができます。教材を提供しているのは、ドリシュテが提携しているマイクロソフトです。

f:id:Yusuke_Ohashi:20130204162853j:plain

また、ドリシュテは政府とも提携し、75万人(!)の職業訓練を展開しはじめています。

下が、その職業訓練所の建物。ICT、手工業、農業、建設など、多様な種類の職業訓練が行われています。(このオジサンはたぶん関係のない人です。絶妙なタイミングでフレームインされましたw)

f:id:Yusuke_Ohashi:20130204165759j:plain

下は、村の女性を対象にした刺繍の職業訓練。この手仕事から、部屋にかざる神像の着物などが生まれます。

f:id:Yusuke_Ohashi:20130204165444j:plain

全然余談ですが、フィールドでヒアリングをしていると、いつの間にか野次馬のインド人が入り乱れ、ほとんど何も聞こえなくなります(笑)。

f:id:Yusuke_Ohashi:20130204150413j:plain

写真下の真ん中にいる男性が、このエリアを担当するブランチの責任者(なんと、齢27歳!!!)。彼やその下にいる献身的なスタッフたちが村長や村の起業家と丹念に信頼関係を築き、ドリシュテのモデルを広めています。

f:id:Yusuke_Ohashi:20130204184136j:plain

おそらく、ドリシュテのネットワークの核になっているのは流通網などのシステムではなく、一つひとつの現場で生み出されている村人たちとの関係性なのではないか。そう思うにつけ、僕はどうやって彼らが村のキーマンたちと信頼関係を築いているのかが気になって、何に気をつけているのか尋ねたところ、こんな答えが返ってきました。

「嘘をいわない。できること、できないことを正直に伝える」

「相手が目指しているものに近づく道を知り、どう達成できるかを教える」

そういった守るべき原則が、現場のスタッフからパッと帰ってくること。そのこと自体に、ドリシュテという組織の強さを感じます。

f:id:Yusuke_Ohashi:20130205182354j:plain

デリーの高層ビルにあるドリシュテ社の本部では、経営実務を取り仕切るシッダルタ氏が対応してくださいました。

ポイントを絞り、フレームワークで端的に自分たちのコンセプトを語るシッダルタ氏。10数年の民間企業での実務経験とその後の国連での経験を有する彼のような人が、この巨大なシステムを動かすエンジンになっています。

一番印象に残っているのは、彼が語っていたTrust Dificit(信頼の不足)という言葉です。「これまで口先でいいことを言って責任をもたない企業やNGOに、村人は信頼を失ってきた。だからこそドリシュテは、頻度高く村人とコミュニケーションをとって信頼を得る努力をしている」。

あぁ、やっぱりこういうことなんだ。ブランチのスタッフが語っていたように、村の起業家たちとの丁寧で誠実な信頼関係が、ドリシュテのネットワークを築いているんだ。僕たちが日本で大事にすべきものを、目の前に広げてもらったような気がしました。

〜Part3につづく〜