アスイク 代表のブログ

こどもの貧困問題、NPOの経営、生き方在り方などについて。

社会起業家には、いじめられた経験のある人が多い。

という調査結果があるわけではないので、本当にそうかはわかりません。

でも、サンプル数は少ないですが、僕の身近な人たちには結構な確率で当てはまるんですよね。

 

かくいう僕自身も、そのサンプルのひとりです。

 

小学4年生のころ。

当時の僕は「いじめ」という言葉を知っていたか定かではありません。

ただ、ぎゅっと身体が縮こまるような、平衡感覚を失って宙に放り出されたような感覚は、大人になった今でも体に染みついていて、それを「いじめ」という言葉とともに思い出すことができます。

 

いじめられた理由は明白です。

僕は警察官だった父親の転勤で、福島県の地方都市から会津の奥地の小学校へ転校しました。人口3,000人にも満たない里山の、10人ちょっとしか同級生のいない学校。

毎日山や川で遊んでいるクラスメイトは、みんな真っ黒に日焼けしていて、それに対して僕はもともと色白で、身体的特徴が明らかにみんなと違っていました。

転校生なんて滅多に来ない学校。よそ者を絵に描いたような子どもだったと思います。学芸会でオオカミとヒツジ役を決めるときには、僕の希望なんて関係なく、自動的にヒツジ役。昼食のときが苦痛で、「おかま、こっちに来るなよ」とのけ者にされ、独りぼっちで教室の隅っこで食べていました(陽だまりが暖かかった)。担任のおじいさん先生は、僕のことなんか関心なし(と、少なくとも僕からは見えていた)。

放課後は、行くところなんてどこにもない。信号が町に2つしかなくて、コンビニもない。そんな場所で、放課後に独りぼっちで、どこにも行くところがない。誰も助けてくれない。我ながら、ヘビーな状況だったなと感心します(笑)。

 

そんな僕にも、ようやく友達ができました。人一倍小柄で、彼の胸には大きな手術の痕。授業中に電車が通ると、独特のしぐさで奇声をあげる。あるとき、彼は無賃乗車をして遠く離れた駅で保護され、駐在所に勤めていた父親が連れて帰ってきた記憶があります。

全校生徒が数十人のその学校には、今でいう特別支援学級はなく、彼のような子どもも同じ空間で過ごしていました。彼も僕と同じで、独りぼっちでした。

 

そんな生活も、1年くらい経つとだいぶ変わるもの。僕はヒエラルキーの頂点に近いところにいました。テストは常に1番。父親の影響ではじめた剣道も地域には敵なし。まさに、お山の大将です。コツコツ努力して、上にのし上がっていこうとする猿山スタイルは、このころに身についたのかもしれません(苦笑)。でもそれは、僕にとっては生きていくための「生存戦略」でした。

 

彼とは、日に日に疎遠になっていきました。彼が僕にどんな感情を抱いていたかは、定かではありません。自分自身のことなのに変な表現ですが、僕は子どもながらに、子ども社会の分かりやすい現実を体験しました。彼への罪悪感まではないけれど、ずっと引っ掛かりがあって、今日のように何かの拍子にふと思い出すことがあります。

 

この町には、彼のほかにも、色んな子どもがいました。

 

父親が亡くなって、母親とその実家に転居してきた子ども。

派手な格好をしている母親と、ほとんどお風呂に入っていなくて強烈なにおいを発していた兄妹(今でいうネグレクト)。

ある被差別階級出身の子ども(と先生が言っているのを耳にしてしまった)。

 

思い起こすと、本当に色んな事情を抱えた子どもがいた気がします。

 

そういった子どもたちとの出会いが、今の僕にどういう影響を与えているかは、よくわかりません。少なくとも、彼らを支援が必要な人たちという見方はまったくしていなかった。むしろ、同じ学校に通う子どもというフラットな感覚の方が近い。

ただ、僕の人生に、彼らがいたというのは、まぎれもない事実で、もしそれがなかったら、さまざまな背景をもった子どもたちに「何となく気になる」感じをもつということ、そのものがなかったかもしれません。

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(中1まで4年間暮らしていた、駐在所兼自宅。駐在所に人が住めるんです)

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(町唯一の商店街。周りは山ばかり。射殺されたクマを目撃したのは衝撃だった)

 

仕事に自分を合わせずに、自分に仕事を合わせる。

なんて言葉を、20代の自分に言ったら、たぶん怒ったでしょうね。

なにせ、座右の銘は「人生に期待するのは間違っている。人生があなたに期待している(※)」でしたから。

アウシュビッツから生還した精神科医、V.E.フランクルの言葉。

 

自分らしさ、なんて言葉は大嫌い。

人の役に立って、人から必要とされて、自分の存在意義がみえてくる。

だから、とにかく自分を中心に据える生き方を捨てなければならない。

そんな風に生きようともがいてきた結果、震災をはじめとしたさまざまな偶然が重なって、僕はNPOを経営することになったのでした。

 

過分な評価ですが、震災後の社会起業家の代表格と評価いただくこともありました。

それは、同時にプレッシャーにもなっていきました。

支えていただいたご恩に報いなければならない。

目の前にある機会や課題に、しっかり対応しなければならない。

周りからの期待に応えなければならない。

経営者としてのあるべき姿に忠実でいなければならない。

こういった思考の裏には、たぶん「恐れ」もあるのだと思います。

がっかりされたくない。

馬鹿にされたくない。

今の立場を失いたくない。

たとえば、そういった恐れ。

そして、こういったことが頭の大半を占めていくにつれ、傍目の順調さとは裏腹に、自分と仕事のつながりが遠ざかるような感覚も増えていきました。

(これはNPO代表の「あるある」だと思ってます)

 

数年前、あるワークショップで突きつけられた言葉があります。

「あなたを見てると、仕事をしているのが辛そうだ」

初対面の人にそんなこと言われたくない、と怒りがこみ上げました。

でも、実は自分への怒りだったのでしょうね。

自分でもうすうす勘づいていた。

 

それから色々なことがあって、「頭」と「体」と「心」のバランスを大事にしながら生きていくことを意識するようになりました。

達磨落としのように、この3つが積みあがっているイメージ。

やっぱりバランスを崩してしまうことがありますが、でもバランスが崩れていることに気づけるようになったのは、僕にとっては大きな進歩です。

 

だいぶ前置きが長くなってしまいましたが、こういったプロセスの中で「本当の仕事」というワークショップに参加してきました。

タイトルだけ見ると怪しさ満点かもしれませんが(笑)、日本で最も有名なコーチング会社であるCTIジャパンを創設した榎本英剛さんという方の思想をベースにしたワークショップで、わかりやすく深みのある内容です。

 

僕の浅はかで偏りのある理解ですが、理由もないけど好きなこと、時間が経つのを忘れてしまうこと、言葉では説明できないけど惹かれてしまうこと(ワークショップでは「純粋意欲」と呼びます)に忠実に生きようというのが、大きなメッセージだったと思います。

 

で、タイトルに戻るんですが、僕も含め、ほとんどの人は仕事に自分を合わせて生きていると言っても過言ではないでしょう。

でも、本当にそれは正しいことなのか。実は自分の純粋意欲をしっかり受け止め、それに合うような仕事を探したり、つくったりする。あるいは、今の仕事への向き合い方を変えてみる。つまりは、自分に仕事を合わせるという生き方も選べるのではないか。

 

自分に仕事を合わせると、今まで固定観念に縛られてきた仕事の見え方(ワークショップでは「メガネ」という表現を使います)が変わってきます。

仕事は一つじゃなければならない、というわけではない。

仕事はお金につながらなければならない、というものでもない。などなど。

 

僕はこのワークショップに参加して、大げさかもしれませんが、これからの人生が楽しみになりました。自分には、自分の生き方を選択できる自由とか、チカラがあると感じた気がします。同時に、今の仕事をまた新しい角度からとらえ直すことができ、やりたいことがたくさん溢れてきました(笑)。

 

ワークショップから帰る途中、ふと頭をよぎった恩師でもある加藤哲夫さんの言葉。

何か通底するものがあるなと感じました。

 

「無意識にひかれるものってあるじゃない。"なんとなく"を、大切にしてください。行ってダメだったら、別のところにいけばいいのです」

「何が気になるかは、わからない。わかる必要はないんです。気になることの方向性に歩んでいけばいい。そうやって20年やってきたら、足跡がひとつながりになって、なんで気になったのかな、ということがようやくわかってきます」

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(ワークショップの開催場所は、waccaという素敵なイベントスペース。オーナーさんの自宅でもあるんですが、そのストーリーが本当に感動的で、涙を抑えらえない参加者もいました)

 

インド紀行 Part3

さて、インド紀行第3部(後づけ)も、今回でようやく終了です。

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ちょいと疲れてきたので、パピーのいやしショットで一息。

が、インドって狂犬病で亡くなる人が世界一多い国なんだそうです。確かに、町中に野良犬が寝転がっていました。「たぶん大丈夫だけど、夜になると狂暴化するから気をつけて」。そんな現地スタッフからのアドバイスを思い出してしまうと、こんなパピーにも多少ココロがざわつきます。。。

 

さて、一行はデリーから飛行機で2時間半。インド南部の都市、バンガロールへ。

まず驚くのは、デリーとは対照的な整然とした街並み。クラクションを鳴らして走る車もほとんどいなければ(デリーではクラクションを鳴らしていない車がレア)、道端に落ちているゴミも少ない。さすが、インドのシリコンバレーともいわれる都市です。

社会起業家の父ともいわれるビル・ドレイトンが創設したアショカ財団。そのインド支部であるアショカインディアは、閑静な町の一角にありました。日本の麻布十番を連想させるような、セレブ感ただよう町並みです。

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アショカは、ハイブリッド・バリュー・チェーンと呼ばれる、企業と社会起業家がタッグを組んで社会問題の解決を加速する手法を推進し始めています。

BoPと呼ばれる膨大な未開拓のマーケットである貧困層に対して、現場に近い社会起業家がその知見やネットワーク、効率的なオペレーションを、企業が製品・サービスを提供するというコンセプト。日本で僕たちが進めている動き方に、非常に近いものがあります。

本場でこのコンセプトを学べるとワクワクして、失敗例やコラボレーションのポイントを質問したのですが、答えをもらえないまま、時間が終わってしまいました。どうやらインドでもまだそこまでの知見が蓄積されておらず、また某世界的コンサルティングファーム出身者がほとんどを占めるアショカでは、あまりそのあたりの情報をオープンにしないのではないか、とのこと。これには、ひじょうにガックリきました。

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モヤモヤした気持ちのまま、次のミーティングへ。

 

ソーシャルベンチャーパートナーズ(SVP)インディアのメンバーとのダイアログ。

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SVPは、シアトル発祥のソーシャルベンチャー支援組織。民間企業のプロフェショナルを中心としたパートナーが、お金、専門性、時間を投資して、ソーシャルベンチャーの成長をサポートする活動です。日本にも、SVP東京 http://www.svptokyo.org/ SVP四国が立ち上がっています。

 

SVPインドはまだ立ち上がったばかりのようでしたが、何億という資産を築いた起業家や某大企業のトップマネジメントの関係者が関わっていたりと、日本とはまた違ったスケール感にやや圧倒されてしまいました。

 

しかし、どうやらインドでも景気後退の後にGrantやDonationが減ってきており、NGOやソーシャルベンチャーの資金調達も苦しくなってきているようです。

地方で子どもたちのLearning Centerを運営し、その運転資金を都市部に建てた図書館からの収益でねん出している教育NGOの事例などは、なかなかに面白そうでした。(NGOが図書館の株式の51%を保有しているらしく、インドではこんなこともありなんだ、と感心しましたが、日本でもあながち不可能なことではないかもしれません)

 

翌日に訪れたのは、同じくバンガロールにあるアユールヴェード医院。

インドにはアユールヴェードという伝統医療がありますが、対症療法的な西洋医療ではカバーできない生活習慣、生き方そのものにまで踏み込んだ療法です。これを現代に甦らせたのが、ラジブ氏。 

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アユールヴェード医院の面白いところは、この伝統医療に近代的マネジメントの手法を掛け合わせ、高品質で再現可能な医療行為として普及させようとしているところです。元モトローラインドのCEOという経歴をもつラジブ氏。元々モトローラ社が開発したシックスシグマという品質管理手法を応用し、経験・暗黙知にたよりがちだった伝統医療を標準化しています。

また、西洋医療にくらべて医療費自体も格段に安いため、保険会社とも提携してより多くの人がこの伝統医療を受けられるように仕掛けているそうです。

 

この視察ツアーも、いよいよ最後です。

占めは、古着などを農村部へ提供しているグーンジュ。http://goonj.org/

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農村地域にリサイクル品を届けるチャリティ活動かと思いきや、「洋服は通貨」という一瞬「?」な思想が飛び出します。

グーンジュでは、タダでリサイクル品を配るということをしません。リサイクル品を提供する代わりに、村人たちが地域清掃をしたり、橋を建てたり、必ず村人主体のプロジェクトを実施することを求めます。なぜでしょう。

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その理由を語る、元ジャーナリストのアンシュ氏(アショカフェロー)。

アンシュ氏は、「尊厳を守るためだ」と端的に語ります。無償の施しを与えられ、村人たちの尊厳を傷つけてはいけない。これは、以前のブログに書きましたが、僕たちも無償の支援による負の側面に気づいていたため、心の底から共感する言葉でした。

ある日、極寒の農村地帯で村人が凍え死に、その遺体に寒さをしのぐため子どもが抱き着いて寝ている光景を目の当たりにし、この活動をはじめたそうです。

そこまで深く聞き取れなかったのですが、おそらく彼は、衣服を提供することで凍死という尊厳のない死をふせぎ、さらに施しを与えないことで村人たちの尊厳を守る。そんな風に、「尊厳を守ること」を軸に据えて、この事業を組み立てたのではないでしょうか。

貧困層にリサイクル品を提供する事業じゃないんです。何のための事業なのか。その核を研ぎ澄ませることが、どれだけ事業に深みと共感をもたらすか。アンシュ氏との短いやり取りの中で、考えさせられました。

 

以上、かなりあっさりでしたが、9日間のインドでの体験です。

あらためてまとめてみると、やはり表面的な理解で終わっているな、と少しだけ侘しい気分になります。

でも、限られた情報の中にも、何か大きな道筋がぼんやりと見えてきたような感覚もあったと言いたい。

 

リサイクル品を通して、農村にすむ人々の尊厳を守ることを目指すグーンジュ。

村の起業家のチカラを引き出して持続可能な村を目指すドリシュテ。

 

彼らから、「社会的な弱者への支援」という言葉は一言も発せられなかった。

支援する、される上下関係ではなく、おなじ社会の一員としての対等さ、可能性を信じ、それを事業活動を通して体現している。

だからこそ、これだけ多くの人に受け入れられ、影響を与えている。

 

そして、

スケールアウトは、目の前の凡事に徹底し、スタッフのモチベーションを邪魔しなかった結果だと語るアイボランティアのラウール氏。

できないことをできないと正直に言い、村の起業家自身の目的の実現をサポートすることを大切にしているドリシュテのスタッフたち。

 

圧倒的な社会インパクトは、信頼、凡事徹底、人のチカラ、そういった小さなことの積み上げにすぎないことを、身をもって示している。

 

これだけのすごい取り組みを表すには、ちょっと感傷的で輪郭のぼやけた言葉かもしれません。それでも僕にとっては十分すぎるくらい、この先の道を示してくれた気がします。

 

もう、そろそろインドじゃない国にも行ってみたいと思います。とか言ってると、またお呼びがかかりそうな気も。そういう人生なんです、きっと。

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インド紀行 Part2

インドのアショカフェロー iVolunteerにつづいて訪れたのは、マトゥラというデリーの南部にある小都市。

道を走っているだけで、観光案内人がひっきりなしに声をかけてくる町。インドに来たなぁと、やっと12年前の記憶といまがオーバーラップしてきました。

 

そこから、さらに脳震盪を起こしそうなデコボコ道を突き進んでいきます。原野を通り越すと、写真のような原始的な村の光景が現れてきました。

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こんな僻地に、いったい何があるのでしょうか。。。

行き着いた小さな町のキオスク(雑貨店)。どの町や村にもある雑貨店ですが、下手なデリーの店よりも圧倒的に豊富な品揃え。

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こんなお店の仕掛け人となっているのが、ドリシュテ社です。http://www.drishtee.com/

ドリシュテは、インド北部を中心として、農村地域に広大な流通網を築き上げています。これまで農村部のお店は、自分たちで商品を仕入れに都市まで出なければならず、その結果として営業時間のロス、慢性的な品揃えの不足に悩まされ、村の人々は良くないものを高く買わざるを得ませんでした。

しかし、ドリシュテがあまりにも非効率で誰も手を付けなかった農村部への流通網を築いたおかげで、店の主は良い品を手間をかけずに安定的に仕入れることができ、村の人々も良いものを以前よりも安く手にすることができるようになっています。

ドリシュテのアプローチでユニークなのは、村の起業家をエンパワメントしていること。ドリシュテのスタッフが村長などのキーマンから紹介で、信頼され、エネルギッシュな村の起業家を探し当て、彼らを下から支えるカタチで自分たちの流通網を使ってもらうという考え方です。

そもそも、ドリシュテが目指しているのは持続的な村を築いていくこと。日用品の流通は彼らのサービスの1つでしかなく、IT教育、マイクロファイナンスなど、村の自立的な維持・発展に必要なサービスを複合的に提供しています。

こういったサービスをドリシュテが直接村の人々に提供するのではなく、村に存在する起業家を発掘、育成、仕組みで支えていくことで、広大なインドにシステミックな変化を起こそうとしているわけです。ドリシュテがサポートしている村の起業家は、14,000人以上。加速度的にこの数を増やし、ドリシュテという民間企業が圧倒的な社会変革を生み出しつつあります。

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これは、同じ村にあるIT教育センター。左側の部屋では、ITの講義が行われ、右の部屋では、村に住みながらにして、下の写真のように実際にPCをつかった訓練を受けることができます。教材を提供しているのは、ドリシュテが提携しているマイクロソフトです。

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また、ドリシュテは政府とも提携し、75万人(!)の職業訓練を展開しはじめています。

下が、その職業訓練所の建物。ICT、手工業、農業、建設など、多様な種類の職業訓練が行われています。(このオジサンはたぶん関係のない人です。絶妙なタイミングでフレームインされましたw)

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下は、村の女性を対象にした刺繍の職業訓練。この手仕事から、部屋にかざる神像の着物などが生まれます。

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全然余談ですが、フィールドでヒアリングをしていると、いつの間にか野次馬のインド人が入り乱れ、ほとんど何も聞こえなくなります(笑)。

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写真下の真ん中にいる男性が、このエリアを担当するブランチの責任者(なんと、齢27歳!!!)。彼やその下にいる献身的なスタッフたちが村長や村の起業家と丹念に信頼関係を築き、ドリシュテのモデルを広めています。

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おそらく、ドリシュテのネットワークの核になっているのは流通網などのシステムではなく、一つひとつの現場で生み出されている村人たちとの関係性なのではないか。そう思うにつけ、僕はどうやって彼らが村のキーマンたちと信頼関係を築いているのかが気になって、何に気をつけているのか尋ねたところ、こんな答えが返ってきました。

「嘘をいわない。できること、できないことを正直に伝える」

「相手が目指しているものに近づく道を知り、どう達成できるかを教える」

そういった守るべき原則が、現場のスタッフからパッと帰ってくること。そのこと自体に、ドリシュテという組織の強さを感じます。

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デリーの高層ビルにあるドリシュテ社の本部では、経営実務を取り仕切るシッダルタ氏が対応してくださいました。

ポイントを絞り、フレームワークで端的に自分たちのコンセプトを語るシッダルタ氏。10数年の民間企業での実務経験とその後の国連での経験を有する彼のような人が、この巨大なシステムを動かすエンジンになっています。

一番印象に残っているのは、彼が語っていたTrust Dificit(信頼の不足)という言葉です。「これまで口先でいいことを言って責任をもたない企業やNGOに、村人は信頼を失ってきた。だからこそドリシュテは、頻度高く村人とコミュニケーションをとって信頼を得る努力をしている」。

あぁ、やっぱりこういうことなんだ。ブランチのスタッフが語っていたように、村の起業家たちとの丁寧で誠実な信頼関係が、ドリシュテのネットワークを築いているんだ。僕たちが日本で大事にすべきものを、目の前に広げてもらったような気がしました。

〜Part3につづく〜

インド紀行 Part1

2月2日から10日の間、国際交流基金(Japan Foundation)の日印社会企業家交流事業のメンバーとして、インドに派遣していただきました。

 

9日間の視察といっても、かなりの過密スケジュールであちらこちらを回り、10人以上の同行者が通訳を介して質問をするような状況。しかも、街中でのインタビューでは周りに野次馬のインド人が群がるような場面もあり(笑)、1対1で深く相手の声に耳を傾けるスタイルを好む僕としては、正直消化不良感が残っているのですが、出会った起業家や市井の人々などから感じた、僕なりのインスピレーションを少しでも紡ぎだせればと思います。

(情報の聞き間違え、事実と違う表記など多々ある可能性がありますので、その前提でお読みいただければ幸いです)

 

実はインドに来るのは、人生で2度目。海外旅行も2回目。つまり、インドにしか行ったことがないという不思議な人生なのですが、1回目のインドは大学生のときの1人旅でした。その時は、現地の怪しげな旅行代理店につかまり、自分がどこにいるかもわからない状態であちらこちらをひっぱりまわされたり、途中で捨てられたり、そのあともいろいろあって散々な目にあいまして、「インドなんて二度と行くもんか」と思ったものですが、まさかこんなカタチで再び訪れるとは、何とも奇妙なご縁です。

 

さて、初日に訪れたのは、デリーのスラム街。僕は勘違いしていたのですが、スラムには、公有地を無断で占拠しているところ、下水などのインフラが未整備なところ、人口密度が高いところなど、いくつかの定義があって、必ずしも掘立小屋が乱立しているような場所に限らないのだそうです。僕たちが訪れたスラムも、どちらかといえば環境の良い方で、石造りの建物が立ち並ぶ地域でした。

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MANZIL KE RAHENというNGOは、このスラムで子どもの教育と女性の自立支援の活動をしています。

路肩に面した建物の地下に入っていくと、20人くらいの子どもたちが集まっていました。

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この放課後教室には、学校には通っているけれど、読み書きなどに問題がある子どもたちが集められているそうです。

親も子どもへの教育には熱心でないことが多く、勉強をしている暇があるのであれば、少しでも働いて家計を支えてほしいと考えていることもあるようで、ソーシャルワーカーNGOスタッフが何回も親を説得して子どもを参加させると話していました。

これは、通訳として同行してくれた方から聞いた話ですが、インドの公立学校は教師の質が非常に悪く、授業中にろくに勉強も教えない教師もいるありさまにも関わらず、テストはやたらと厳しくて、半数以上が小学校段階でドロップアウトしてしまうのだそうです。

この教室、写真のとおり、石の床に大きな絨毯が広げられているだけの極めて質素なつくり。そこに子どもたちが座って、先生役のNGOスタッフから基本的な読み書きを教わるのですが、年長の子どもが下の子どもに教えたりと、子どもの主体的な関わりによって少ないスタッフの問題をカバーする工夫もされています。

子どもたちは生き生きとしていて、人を助けるために「医者になりたい」、「先生になりたい」、家族を養うために「軍隊に入りたい」(インドでは軍人のステータスが高く、軍人専用の保育所などの福利厚生も充実しているそうです)と、率先的に自分の夢を語っていました。「夢があったからここに来たのか?それとも、ここで夢を見つけたのか?」と訊くと、「ここで見つけた」と声を合わせた子どもたち。横や縦のつながりが、子どもの可能性を開くことを、改めて見せつけられた気がしました。 

 

この教室から少し離れたところあるのが、女性たちが手仕事をする作業所です。

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地域の主婦たちが集まり、空いた時間で手仕事をすることで、収入を得ています。といっても、1日に稼げるのは50〜100ルピー(90円〜180円)、月で1,000〜3,000ルピー。月10,000ルピーで中の下くらいの生活ができるらしいので、家計の足し程度の金額のようです。

むしろこの場の価値は、収入よりも相互扶助のコミュニティ形成でしょう。

女性同士がお互いに悩みを相談し合う場になっているだけでなく、セルフヘルプグループという共済の仕組みを取り入れており、ここでの収入の半分をみんなで拠出して、急な出費が必要になったメンバーに貸し出しをしています。日本の結にも通じる考え方ですね。

僕が印象的だったのは、女性が語った「安全」という言葉でした。女性が一人で仕事をしたりすると暴力を受ける可能性もある。そういった暴力から守られながら、仕事ができるのがこの場なのだそうです。

また、ある未亡人の女性は、「夫が亡くなった後に何もすることがなかったが、このNGOで電話受付や寄付集めなどの役割を見つけることができた」と語っていました。

社会的に弱い立場に置かれた人々が、つながり、お互いに助け合い、役割を見つける。そんな社会的包摂の場が生み出されていました。

 

僕にとって、このNGOの印象は、発見というよりも既視感に近かったかもしれません。

東日本大震災の被災地で広がっている子どもの教育サポート、女性たちの手仕事づくり。そこにいる人たちがインド人でなく日本人ならば、これは被災地の光景と重なるのではないか。やや極端ではあると思いますが、市民レベルの相互扶助はどこでも同じように広がっていくのだなぁとおぼろげに感じました。

もっとも、インドにもこういったNGOの根が広く張り巡らされていて、草の根レベルで相互扶助が機能しているということ自体が、僕にとっての発見だったということももう一方で告白しておかなければなりません。恥ずかしい話、インドで市民活動がここまで活発だとは思っていませんでした。(この後に紹介するivolunteerのラフールさんによれば、インドのNGO数は100万!らしい。もっとも、ちゃんと機能しているのは5万程度という話でしたが)

 

このスラムを後にして訪れたのは、インド有数のショッピングセンター。なぜショッピングセンター?という疑問はごもっともですが、もちろん、いきなり観光ではありません。貧富の差を体感するというプログラムの一環です。

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日本の大手デベロッパーも顔負けのショッピングセンター。日本でもよく見かけるテナントもたくさん入ってました。なんと、入り口のゲートでは手荷物検査もされます。インドの高度経済成長の一つの象徴、なのかもしれませんね。

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そして、このショッピングセンターと道路を挟んで向かい側に広がる光景。

ストリートチルドレンが何人も路上にいて、「マネー」と叫びながら洋服をひっぱります。写真左下の小さな子が、なぜか自分の子どもとオーバーラップしてしまい、ほんの一瞬、言葉にできない悲しみに襲われました。自分たちの物差しで、この子達を下に見るような考えをもってはいけないという気持ちを抑えつけながら。

 

次に会ったのは、インドで高等教育を受けた中間層以上のボランティアをコーディネートしているiVolunteer http://ivolunteer.in/index.html のラフールさん。(写真中央)

世界的な社会起業家の支援組織、アショカ財団のフェローにも選出されています。

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前述のとおり、インドにはNGOが数多く存在しますが、ほとんどは農村部で活動。中間層以上は関わらないという状況に対して、iVolunteerが媒介となって、都会の若者や大企業の役員などをNGOに橋渡しをしています。ボランティアを通して、農村と都市の分断をつなぎ合わせ、農村の問題を知った若者や企業人たちが、新たな取り組みをはじめることで社会に還元していく。そういった循環を生み出しています。

また、先進国から途上国へという流れとは逆の、途上国から先進国へのボランティアの流れも生み出しているそうです。

おそらく彼が仕掛けているのは、異なる立場におかれた人々の間で経験の交流を促し、そこから新しい問題解決の動きが生まれる火種をつくり出すことなのだろうと認識しました。

僕個人の関心は、なぜ彼が広大なインドで中間層が農村部へボランティアをするという動きを広げることができたのか、ということだったのですが、ラフールさんによれば、「たとえばデリバリーなど、基本的で大事なことをもっとよくしたいと改善しつづけた結果であり、クリエイティブでフレックスでモチベートされたスタッフを邪魔しないことであり、スケールアウトしなければならないというプレッシャーを反動にして実現したことではない」とのこと。常々大きな目標とのギャップにばかり目を向け、意識的にも汲々としている僕にとって、この彼のリーダーシップに触れられたことは救いにも似た感覚を与えてくれたと思います。ギャップに目を向けるのではない。あるべき品質と、事業を推進する人に意識を向ける。その先の結果は、単なる結果なのだ。そんなメッセージを(勝手に)得て、この場を後にしました。

 

〜Part2につづく〜

「あたりさわりのない第3者」の価値

物腰のやわらかな素敵なNPO法人の理事長とお会いしました。

 

ちょっと精神的に疲れてしまったり、いろいろな問題を抱えている大人や若者の就労支援をしているNPOで、その方も精神保健福祉士の資格をお持ちです。

(念のために書いておきますが、僕がカウンセリングをうけたワケではないですよ)

 

その素敵な理事長さんが言うには、うつや引きこもりなど、いわゆるメンタル不全の芽のようなものは、中学生ぐらいから生まれ始めるのだそう。

 

ニートや引きこもり、あるいは精神的な問題をかかえている大人、若者を見ていると、若いうちにその傾向があった人も決して少なくないというお話でした。

 

その原因はさまざまでも、誰かにSOSを投げられたり、本音を聞いてもらえたりすることが、メンタル不全の芽を伸ばさないために有効らしいです。

 

でも、そういう年代の子どもって、親はもちろん、「評価する人」として利害関係のある学校の先生にもなかなか本音は話さない。

(たしかに自分もそうだったなぁ〜と、可愛さのかけらもない少年時代を思い起こします)

 

時にスクールカウンセラーでさえも、利害関係のある「学校側の人」とみなされることも少なくないとのこと。

 

じゃあ学校の友達は、というと、これは関係の濃淡によってさまざまだと思いますが、友達こそ最大の利害関係者である場合も少なくないでしょう。

 

多くの子どもにとって、親、学校の先生、友達(先輩後輩)が人間関係のトライアングルで、この三角形のどの頂点にもはじき飛ばされてしまうと、真ん中でじっとうずくまるしか(あるいは暴れるか)しかなくなってしまいます。

 

これは現代っこ、多くに当てはまる状況だと思いますが、お金の問題や、それに付随する親子関係の問題など、複雑に入りくんだ状況で生活している子どもは、なおさらこのトライアングルがうまく機能しにくいのが、現実でしょう。

 

そんなときに必要なのが、「あたりさわりのない第3者」。

あたりさわりのない、という表現が最適かどうかはわかりませんが、本音で話しても大して不利益にならない人であることが重要なのかもしれないと思います。

 

もちろん所詮は他人なので、だからといってホイホイと本音をぶちまける子どもはいません。でも、ずっとあたりさわりのない関係を続けていくと、ぽろっと本音がこぼれることがあります。

 

その「ぽろっとこぼれた本音」を評価するわけでもなく、無用なアドバイスをするわけでもなく、ただ一生懸命聞いてあげること。それが、メンタル不全の芽を伸ばさないことにつながります。

 

私たちの組織で、子どもとかかわりを持っているボランティアのみなさん。みんな素晴らしくマジメで、素晴らしくマジメであるがゆえに、時として自分がやっていることに悩みや迷いを感じてしまう方もいます。

 

でも、そんなときには、まず『学校の先生でもなく、親でも友達でもない、「あたりさわりのない第3者」である自分そのものに、すごく大きな価値がある』。そう思ってもらいたいな、と。

『「ぽろっとこぼれた本音」を、ちゃんと拾って、でも評価もアドバイスもせずに、聴いてくれることに、さらに大きな価値がある』。そんな風にとらえてもらいたいな、と。

成果を定めることについて

今日は、「NPOがきちんと成果を定めることの大切さ」について書いてみたいと思います。

 

こんなことを書こうと思った発端は、うちのボランティア(Yさん)から就職試験について相談されたこと。

 

Yさんは、中小企業をサポートする外郭団体の試験を受けています。話の流れで、僕はその外郭団体の問題点を指摘しました。

 

「この外郭団体は、中小企業の販促支援でイベントをやっているが、その結果を単なる参加企業の売上、マスコミの取材件数でしか効果測定をしていない。というか、これは効果測定ではない。本質的には、たとえばリピーターの獲得数、口コミの発生数、半年後の売上変化などを調べて公表すべきではないか。ただ1回きり売上が立つようなことをやっても仕方ない。このイベントがキッカケで、継続的な利益向上につながり、結果として税収が増えたり、雇用が生まれたりすることが、この外郭団体がなすべきことではないか。

なぜなら、税金を投入して運営しているのだから。税金を投資するなら、それを上回るリターンを出さなければならない。それが、この外郭団体が掲げるべき成果のはずだ。

予算消化型で動く組織は、きちんとした成果目標を追わなければ、腐敗する。そうしないと、とにかくやればいい、報告書を出せばいい、となってしまう。単なる税金を浪費するだけの組織に堕ちていく」

 

まぁ、なんとも偉そうなことを言ってしまいました。しかも、相談内容からかなり離れている(笑)。

それはともかく、ふとわが身を振り返って、変な汗が出てしまいました。僕たちは、日々の情報発信や事業報告書の作成、会計資料の公開は、かなりいい感じでやっている組織だと思ってます。いや、ました。

でももしかすると、この外郭団体とそう違わないのかもしれない。

-何か所の拠点で活動していて、何人の子どもが参加している。

-何回研修会やイベントをやって、何人のボランティアや子どもが参加した。

発信している内容の多くは、だいたいこんなもんです。

日々の活動に埋もれると、それでいいと思ってしまうんですよね。こんなにも活気のある場が生まれていて、笑顔が生まれていて。僕たちは、周りから借りた資源をつかって、こんなにいいことやってるんだ。そんな自負をもつのは、自然なことだし、ある意味では健全なことでしょう。もしかすると、この外郭団体で働く人たちも同じ感じなのかもしれません。

でも、それはベストなことなのか。社会のリソースを借りて活動しているならば、誰に対してどんな良い効果を生み出していて、将来的にどんな効果を生み出す可能性があって、どんな形で社会に還元できるのか。そんなことを、できるだけ説得力のある指標できちんと測定して、発信して、常に改善していく必要があるのではないか。

 

こんなことを思っているとき、たまたまインドで生まれたグラスルーツ・イノベーションの記事を見つけました。そこには、こんなことが書いてあります。

 

「生理用ナプキンの不足によって途上国の女性は年間50日、人生のうち5年間分の学校で勉強する時間や仕事に費やす時間を失うと一般的に言われています。3ヶ月間で1,000枚の生理用ナプキンを販売することで、農村の女性たちが学校に通う時間、仕事に費やす時間を生み出します。」

 

これが完ぺきだとは思いませんが、生理用ナプキンを途上国で普及させることによって、教育や労働への好影響が生まれること、それが一応具体的な数字で表されていることは見習うべきだと思います。おそらく、もうちょっと時間と専門知識を投入すれば、これがどう社会経済へ還元されるかを提示できそうな気がします。

単に、生理用ナプキンが何枚普及して、女性の生活の質が向上する、というだけにとどまらず、その周辺の社会への影響にまで言及する。投入されたリソースを上回るための成果指標を設定できていれば、単なる同情を越えて、当事者以外の人たちがさまざまな資源を投資する動機が生まれる。

もちろん、同情というか、感情に訴えることは重要なのですが、それで動けるのは一部の人で、さらに遠心力のある動きにはなりにくいのだと思います。

 

きちんとした成果指標の設定と測定が重要な理由は、社会的課題に対してリソースを集めたり、貸し手への説明責任を果たすため、あるいは組織の堕落を防ぐためだけではありません。

 

ちょっと話は変わりますが、湯浅誠さんは著書「ヒーローを待っていても世界は変わらない」(朝日新聞出版)で、こんなことを書いています。

 

「障がいを持っている兄は、税金が投入された社会福祉法人で働いていて、税金が原資の障害年金ももらっている。それを既得権益だと切り落とせば、兄は家に引きこもり、一緒に暮らす母や地域とのつながりやそこで生まれていた消費活動も失われ、母も精神的に参ってしまい、自分も家にはりつくことで、結果的により多くの経済的活動がなくなる」

 

ここから考えられるのは、既得権益だと切り離されるリスクをより強く背負っている社会的弱者を守るためにも、成果指標の設定と測定は必要なのだということです。

たとえば(現実的にそれが可能かはさておき)、この社会福祉法人が投入された税金を活用して、障がいを持つ本人やその家族も含め、どれだけの経済活動を生み出しているか、守っているか、という成果指標を設定して、測定・発信していくことで、障がい者の雇用に税金を投入するのは怪しからんと息巻く人たちを打っちゃることもできるかもしれない。

(念のため、湯浅さん自身は、すべてをお金に換算することを決して良しとしていないことを補足しておきます)

 

さて、ちょっと感じたことをまとめておこうと思ったら、ズルズルと話が伸びてしまいました。

なにはともあれ、僕たちも「良さそうなこと」をやっている組織からの進化を、そろそろ本気で考えなければならなそうです。

ちなみに、こういったことに関係しそうな概念として、Social Return On Investment(SROI)というものがあります。おっと、この話を書き始めるとまた長くなりそうなので、また改めます。