アスイク 代表のブログ

こどもの貧困問題、NPOの経営、生き方在り方などについて。

「あたりさわりのない第3者」の価値

物腰のやわらかな素敵なNPO法人の理事長とお会いしました。

 

ちょっと精神的に疲れてしまったり、いろいろな問題を抱えている大人や若者の就労支援をしているNPOで、その方も精神保健福祉士の資格をお持ちです。

(念のために書いておきますが、僕がカウンセリングをうけたワケではないですよ)

 

その素敵な理事長さんが言うには、うつや引きこもりなど、いわゆるメンタル不全の芽のようなものは、中学生ぐらいから生まれ始めるのだそう。

 

ニートや引きこもり、あるいは精神的な問題をかかえている大人、若者を見ていると、若いうちにその傾向があった人も決して少なくないというお話でした。

 

その原因はさまざまでも、誰かにSOSを投げられたり、本音を聞いてもらえたりすることが、メンタル不全の芽を伸ばさないために有効らしいです。

 

でも、そういう年代の子どもって、親はもちろん、「評価する人」として利害関係のある学校の先生にもなかなか本音は話さない。

(たしかに自分もそうだったなぁ〜と、可愛さのかけらもない少年時代を思い起こします)

 

時にスクールカウンセラーでさえも、利害関係のある「学校側の人」とみなされることも少なくないとのこと。

 

じゃあ学校の友達は、というと、これは関係の濃淡によってさまざまだと思いますが、友達こそ最大の利害関係者である場合も少なくないでしょう。

 

多くの子どもにとって、親、学校の先生、友達(先輩後輩)が人間関係のトライアングルで、この三角形のどの頂点にもはじき飛ばされてしまうと、真ん中でじっとうずくまるしか(あるいは暴れるか)しかなくなってしまいます。

 

これは現代っこ、多くに当てはまる状況だと思いますが、お金の問題や、それに付随する親子関係の問題など、複雑に入りくんだ状況で生活している子どもは、なおさらこのトライアングルがうまく機能しにくいのが、現実でしょう。

 

そんなときに必要なのが、「あたりさわりのない第3者」。

あたりさわりのない、という表現が最適かどうかはわかりませんが、本音で話しても大して不利益にならない人であることが重要なのかもしれないと思います。

 

もちろん所詮は他人なので、だからといってホイホイと本音をぶちまける子どもはいません。でも、ずっとあたりさわりのない関係を続けていくと、ぽろっと本音がこぼれることがあります。

 

その「ぽろっとこぼれた本音」を評価するわけでもなく、無用なアドバイスをするわけでもなく、ただ一生懸命聞いてあげること。それが、メンタル不全の芽を伸ばさないことにつながります。

 

私たちの組織で、子どもとかかわりを持っているボランティアのみなさん。みんな素晴らしくマジメで、素晴らしくマジメであるがゆえに、時として自分がやっていることに悩みや迷いを感じてしまう方もいます。

 

でも、そんなときには、まず『学校の先生でもなく、親でも友達でもない、「あたりさわりのない第3者」である自分そのものに、すごく大きな価値がある』。そう思ってもらいたいな、と。

『「ぽろっとこぼれた本音」を、ちゃんと拾って、でも評価もアドバイスもせずに、聴いてくれることに、さらに大きな価値がある』。そんな風にとらえてもらいたいな、と。

成果を定めることについて

今日は、「NPOがきちんと成果を定めることの大切さ」について書いてみたいと思います。

 

こんなことを書こうと思った発端は、うちのボランティア(Yさん)から就職試験について相談されたこと。

 

Yさんは、中小企業をサポートする外郭団体の試験を受けています。話の流れで、僕はその外郭団体の問題点を指摘しました。

 

「この外郭団体は、中小企業の販促支援でイベントをやっているが、その結果を単なる参加企業の売上、マスコミの取材件数でしか効果測定をしていない。というか、これは効果測定ではない。本質的には、たとえばリピーターの獲得数、口コミの発生数、半年後の売上変化などを調べて公表すべきではないか。ただ1回きり売上が立つようなことをやっても仕方ない。このイベントがキッカケで、継続的な利益向上につながり、結果として税収が増えたり、雇用が生まれたりすることが、この外郭団体がなすべきことではないか。

なぜなら、税金を投入して運営しているのだから。税金を投資するなら、それを上回るリターンを出さなければならない。それが、この外郭団体が掲げるべき成果のはずだ。

予算消化型で動く組織は、きちんとした成果目標を追わなければ、腐敗する。そうしないと、とにかくやればいい、報告書を出せばいい、となってしまう。単なる税金を浪費するだけの組織に堕ちていく」

 

まぁ、なんとも偉そうなことを言ってしまいました。しかも、相談内容からかなり離れている(笑)。

それはともかく、ふとわが身を振り返って、変な汗が出てしまいました。僕たちは、日々の情報発信や事業報告書の作成、会計資料の公開は、かなりいい感じでやっている組織だと思ってます。いや、ました。

でももしかすると、この外郭団体とそう違わないのかもしれない。

-何か所の拠点で活動していて、何人の子どもが参加している。

-何回研修会やイベントをやって、何人のボランティアや子どもが参加した。

発信している内容の多くは、だいたいこんなもんです。

日々の活動に埋もれると、それでいいと思ってしまうんですよね。こんなにも活気のある場が生まれていて、笑顔が生まれていて。僕たちは、周りから借りた資源をつかって、こんなにいいことやってるんだ。そんな自負をもつのは、自然なことだし、ある意味では健全なことでしょう。もしかすると、この外郭団体で働く人たちも同じ感じなのかもしれません。

でも、それはベストなことなのか。社会のリソースを借りて活動しているならば、誰に対してどんな良い効果を生み出していて、将来的にどんな効果を生み出す可能性があって、どんな形で社会に還元できるのか。そんなことを、できるだけ説得力のある指標できちんと測定して、発信して、常に改善していく必要があるのではないか。

 

こんなことを思っているとき、たまたまインドで生まれたグラスルーツ・イノベーションの記事を見つけました。そこには、こんなことが書いてあります。

 

「生理用ナプキンの不足によって途上国の女性は年間50日、人生のうち5年間分の学校で勉強する時間や仕事に費やす時間を失うと一般的に言われています。3ヶ月間で1,000枚の生理用ナプキンを販売することで、農村の女性たちが学校に通う時間、仕事に費やす時間を生み出します。」

 

これが完ぺきだとは思いませんが、生理用ナプキンを途上国で普及させることによって、教育や労働への好影響が生まれること、それが一応具体的な数字で表されていることは見習うべきだと思います。おそらく、もうちょっと時間と専門知識を投入すれば、これがどう社会経済へ還元されるかを提示できそうな気がします。

単に、生理用ナプキンが何枚普及して、女性の生活の質が向上する、というだけにとどまらず、その周辺の社会への影響にまで言及する。投入されたリソースを上回るための成果指標を設定できていれば、単なる同情を越えて、当事者以外の人たちがさまざまな資源を投資する動機が生まれる。

もちろん、同情というか、感情に訴えることは重要なのですが、それで動けるのは一部の人で、さらに遠心力のある動きにはなりにくいのだと思います。

 

きちんとした成果指標の設定と測定が重要な理由は、社会的課題に対してリソースを集めたり、貸し手への説明責任を果たすため、あるいは組織の堕落を防ぐためだけではありません。

 

ちょっと話は変わりますが、湯浅誠さんは著書「ヒーローを待っていても世界は変わらない」(朝日新聞出版)で、こんなことを書いています。

 

「障がいを持っている兄は、税金が投入された社会福祉法人で働いていて、税金が原資の障害年金ももらっている。それを既得権益だと切り落とせば、兄は家に引きこもり、一緒に暮らす母や地域とのつながりやそこで生まれていた消費活動も失われ、母も精神的に参ってしまい、自分も家にはりつくことで、結果的により多くの経済的活動がなくなる」

 

ここから考えられるのは、既得権益だと切り離されるリスクをより強く背負っている社会的弱者を守るためにも、成果指標の設定と測定は必要なのだということです。

たとえば(現実的にそれが可能かはさておき)、この社会福祉法人が投入された税金を活用して、障がいを持つ本人やその家族も含め、どれだけの経済活動を生み出しているか、守っているか、という成果指標を設定して、測定・発信していくことで、障がい者の雇用に税金を投入するのは怪しからんと息巻く人たちを打っちゃることもできるかもしれない。

(念のため、湯浅さん自身は、すべてをお金に換算することを決して良しとしていないことを補足しておきます)

 

さて、ちょっと感じたことをまとめておこうと思ったら、ズルズルと話が伸びてしまいました。

なにはともあれ、僕たちも「良さそうなこと」をやっている組織からの進化を、そろそろ本気で考えなければならなそうです。

ちなみに、こういったことに関係しそうな概念として、Social Return On Investment(SROI)というものがあります。おっと、この話を書き始めるとまた長くなりそうなので、また改めます。