アスイク 代表のブログ

こどもの貧困問題、NPOの経営、生き方在り方などについて。

「改正生活困窮者自立支援法」で子どもの支援は、こう変わる。

今日はちょっと、固めの話。

(漢字が多くて、すみません。そしてかなりマニアックです)

 

7月26日に開催された厚生労働省の生活困窮者自立支援制度全国担当者会議で、生活困窮者自立支援法(生困法)の改正内容が公表されました。

ご存知の方も多いと思いますが、生困法は2015年に施行された新しい法律で、今回の改正は3年の見直し規定に基づくものです。

この法律では、生活保護の手前にセーフティネットを設けることを目的として、福祉事務所のある自治体が自立相談支援事業(実施は必須)、就労準備支援事業(任意事業。以下同じ)、家計相談支援事業、一時生活支援事業などを実施できるようになり、子どもの学習支援事業も任意事業の一つとして位置づけられました。

任意事業の中でも、特に子どもの学習支援事業は実施自治体が増えつづけていて、少しデータは古いですが、平成28年度時点でほぼほぼ半数の423自治体が実施しています。

ちなみに、私たちが活動する宮城県は実施率が低く、平成28年度時点ではわずか21%、平成30年度時点でも40%という状況です(私たちなりに精一杯がんばってきたんですがね)。この傾向は宮城県にとどまらず、東北全体が似たり寄ったりの感じになっています。

と、いろいろ課題はあるものの、2015年の施行によって、全国に子どもの学習支援事業が拡大することに大きく寄与してきた生困法。今回の改正によって、何が変わるのか。法制定前から現場で事業をつくってきた団体の視点から、ポイントをまとめておきたいと思います。なお、ここで書いていることは、厚労省の資料をもとにした考察も多分に含まれていて、正確性を保証するものではありませんので、ご承知おきください。

 

  • 子どもの学習支援事業から、「学習・生活」支援事業へ
 
一部では不評を買ってきた、学習支援事業という名称。塾に行けない子どもに無料で勉強を教えることで貧困の連鎖から脱却させる、というロジックは、分かりやすく、社会に学習支援のムーブメントを起こすには一役買ったと思いますが、私たちも含め、クエスチョンを感じてきた団体も少なくありません。
だって、「分かりにくさ」は貧困問題の特徴そのもの。一見何も変わったところがなさそうな子どもが、実は性被害にあっていたり、ダブルワーク・トリプルワークの無理がたたって保護者が体を壊して家事ができなくなっていたり、あるいは足りない生活費を消費者金融で埋め合わせしていたり、DV被害者が一時的に生活する施設で暮らしていたり、いじめのターゲットになって死を考えていたり。貧困を背景に、ややこしくこんがらがった問題をひとりの子どもや保護者が抱えていることは珍しくありません。
そんな子どもたちに対して、頑張って勉強して、成績をあげて、偏差値の高い高校ややりたいことがやれる高校にいって自立しようぜ!というのは、いささか酷というか、子どもの視点に立った支援のあり方とはかけ離れていないでしょうか。課題-解決策の論理展開が破綻していやしないでしょうか。
もちろん、貧困と一口に言っても、さまざま状況の子どもたちがいます。特に生活上の困りごとは感じていなくて、他の子どもと同じように塾に行きたいという子どももいて、そういった子どものニーズに応えることがダメという話ではありません。大事なのは、さまざまな状態・ニーズを抱えた子どもたちにできるだけ対応できるような一律的ではないサポートのあり方と、子どもの生活の土台になる家庭の課題も含めてサポートしようとするあり方です。さらに踏み込んでしまうと、生困法に基づいて公的資金をつかうならば、より貧困の世代間連鎖に陥りやすい複合的課題を抱えた子どもたちにこそ、焦点を当てるべきなのではないかと考えています。
こういった視点に立つならば、今回の改正で「学習」に「生活」が加えられ、子どもの育成環境も含めた支援を行なうべきであることが明記されたのは、大きな前進です。
ただし、「育成環境も含めた支援」をどう捉えるかは解釈が分かれるところで、たとえば保護者と進学に関する三者面談をするといった、塾で実施している内容をそのままやることを育成環境も含めた支援としてしまうことも考えられます。実際に、法改正があることがわかっているにも関わらず、一般的な学習塾と同じ事業内容を行なっている自治体もあります。
また、「育成環境も含めた支援」を機能させるためには、社会福祉等に関する専門性をもったスタッフの配置、複合的な課題に対応するための関係機関の連携の2つが欠かせません。
 
  • 関係機関間の情報共有を行う会議体の設置

 

上の関係機関の連携をスムーズにしていく上で推進剤になりそうなのが、関係機関で情報共有をする会議体が法定されたことです。

何がいいかというと、会議体の構成機関同士であれば、支援対象者の同意なく、ケースの情報を共有できること。たとえば、ケアが必要な子どもがいたときに、多くの子どもにとって主要な関係機関・つながりである学校に対して情報共有したり、学校で把握している情報を共有してもらうことをお願いするのは、定石と言っても過言ではありません。しかし、前者はともかく、後者は一筋縄ではいかないことがあります。学校によって対応が分かれるというのが実態で、協力的な学校は子どもの情報を教えてくれる一方、学校からの一切の情報提供をシャットアウトされてしまう場合も。

こういう状況に対して、新たに法定された会議体ができることで、学校などの関係機関との情報共有がやりやすくなり、それぞれが持っている情報を組み合わせて事実に即した支援方針を考えられるようになったり、「〇〇機関は子どもとの関係が良好だから〇〇の役割を」という具合に、関係機関で役割分担をして連携プレーで対応できるようになることが期待できます。

よくある状況として、周りから見れば問題があるけれど、当の本人たちが困り感を出していないことがあります。たとえば、子どもは母親のパートナーに手をあげられることがあるようだけど、よくあることだから大丈夫と、本人も母親も問題意識を感じていない。そういう場合には、色んな関係機関が関係を保ちながら情報を共有し合い、何かあったときには連携できるチームアプローチが大切になります。

期待の一方で、たとえば学校との連携を考えたときには、どういう会議体のあり方がよいのか、悩ましさも感じます。すべての学校が入ることは現実的でない。じゃあ教育委員会が構成員になるのか。でも、教育委員会と学校の関係も外から見ると複雑なところがあり、教育委員会が右と言えば、学校がそれに従うという構造でもない。そうなると、会議体の意味も形骸化してしまう可能性があります。

ちなみに、宮城県内にはすでに数年前から関係機関の連携会議が存在しているので、そこに更に多様な関係機関が構成員として加わり、情報共有に関する法的な後押しがなされていくイメージでしょうか。

 
  • 生活困窮者の定義の明確化
 
これまで、生活困窮の定義は少しあいまいなところがありました。それによって、自治体によっては、生活保護を受けていること、児童扶養手当を受給していること、など子どもの参加要件が硬直化し、実質的に困窮度が高く、子どもが将来も困窮に陥るリスクが高いにも関わらず、受け入れることができないというケースも発生しました。
たとえば、両親ともそろっているけれど、精神疾患があり、どちらも働いてはすぐ辞めるの繰り返しで収入は不安定。本来は生活保護水準であるにも関わらず、生活保護への心理的な抵抗が大きくて申請はしない。でも、子どもは学校も中退し、もう数ヶ月何もしないで過ごしている。。。
今回の定義では、「就労の状況、心身の状況、地域社会との関係性その他の事情により、現に経済的に困窮し、最低限度の生活を維持することができなくなるおそれのある者をいう。 」というように、就労の状況以外も明示されたことで、実質的な困窮度に応じて利用者を受けいれやすくなる可能性が高まりました。
問題は、7人に1人が貧困といわれる中、そもそも現場で受けとめられるキャパシティには限界があり、参加要件を絞らなければパンクしてしまったり、相対的に困窮度合いの低い層で定員になってしまう可能性があるので、現場の運用レベルで考えると対象者を絞らざるを得ないという事情があることです。また、実質的には困窮しているかどうかをどういった基準で判断するのかが難しいという状況もあります。自治体が提供するサービスであるならば、客観的なモノサシがないと説明責任を果たせないという理屈には、確かにと頷ける部分があります。
 
  • 次期改正での必須化に向けた議論の可能性
 
これは、今回の改正ですぐに変わるというものではありませんが、参議院厚生労働委員会の附帯決議では、「各任意事業の実施率を高めつつ、地方自治体間格差の是正を図りながら、次期改正における必須化に向けた検討を行うこと。」という文言が明記されました。
冒頭のとおり、平成28年度時点での学習支援事業の実施率は半分程度です。財政力のない自治体、人口10万人未満の自治体では、特に事業の実施が難しい状況があります。僕が知っている範囲でも、担当課はこの事業の必要性を十分理解しながら、財政部局のカベ、首長のカベが突破できずに未実施のままという状況が多々あります。「学習支援事業が必須事業になればいいのに」と口にする福祉部局の担当者も少なくありません。
個人的には、必須化が手放しで喜べるかというと、懸念もあるというのが正直なところです。まず、事業の柔軟性が損なわれてしまう可能性があること。生困法の学習支援事業は面白いつくりになっていて、大まかな方針や加算事業は定められているものの、具体的な事業設計は各自治体の状況にあわせて柔軟に組み立てることができます(さいたまユースサポートネットの青砥代表は「フレーム法」と表現されていました)。それによって、学校の中で学習支援事業を実施する自治体があったり、フリースクールを生困法で運営する自治体があったり、利便性の悪い郡部で訪問支援だけを実施する自治体があったりと、さまざまな創意工夫を生み出してきました。自治体が型どおりの仕様書を出して、下請けに出すという構造ではなく、現場のNPOなどがそれぞれの強みや地域の実態・状況にあった提案をして、自治体と協働で事業をつくっていくという、市民社会の醍醐味みたいなものが実現されやすい制度だと思います。それが必須化となった場合に、一律のやり方、一律の指標による管理にならないか、不安があります。
また、事業を実施しているというアリバイ作りのために、形だけの事業が広がってしまわないかという懸念もあります。実際にある自治体では、学習支援事業をやっている自治体が増えている中、自分たちだけやらないのはまずい。でも予算はかけたくないので、数十万円でやれる方法を探す、という話になりかけたことも。本来の目的・趣旨に照らして、効果の出にくい内容で形だけ事業が広がってしまうならば、本末転倒です。
とはいえ、必須化でもしなければ動かなそうな自治体があるのも実際のところ。自治体と対等に話し合い、事業をつくっていけるNPOなどが増えた段階で、フレーム法の良さを残すよう十分に注意しながら必須化、というのが理想ではないかと、感じるところです。
 
ちょっと備忘録的に、と軽い気持ちで書き始めて、数時間。なかなかのボリュームになってしまいました。。。
ここで書いた内容以外にも、生活保護を受けていても大学に進学しやすくなったり、さまざまな改正がなされていますので、関心のある方はこちらのページをご参照ください。
 

人生を共有し合うセッション

「支援者同士が、お互いの成育歴とかどんな人間か理解する機会があるといいです」。

スタッフからの提案で、相互理解セッションを開催しました。

 

提案をしてくれたスタッフは、児童養護施設で働いた経験もあるのですが、その施設では支援員同士がお互いを理解することにかなり時間をかけていたそうです。

 

普段なかなか話す機会のない自分のことを開示をするために、いつもと違った雰囲気がいいだろう。

ということで、秋保にある木の家というロッジを借りました。

写真をご覧いただくと分かる通り、自然が豊かで、プライバシーも守られる環境で、研修にはもってこいですね。

 

安心して自己開示できるように、「守秘義務」、「評価しない」、「無理に話さない」というグランドルールを確認。

その後は、順番に人生のハイライトをその時の感情とともに、共有していく時間を持ちました。

 

もちろん守秘義務があるのでご紹介することはできませんが、家族との関係が今の仕事につながっているスタッフが多いことに改めて気づきました。

深い話を開示してくれるスタッフもいて、正直驚いたりもしましたが、みんなを信頼して話してくれたことが嬉しかったです。

 

参加したスタッフそれぞれにとって、この組織が大事な場なんだと感じ、今まで以上にみんなにとっていい組織をつくっていきたいという気持ちが湧いてきました。

 

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NPOなのに、拡大することが大事な理由

最近はというと、、、

新しい事業を立ち上げる準備をしながら、順調にカベにぶつかってます。

こういう時に限って「なんとかしてやるぜ」とアドレナリンがあふれるのは、やっぱり今の仕事が向いているんでしょうかね。。。

 

と、忙しいことを言い訳に、せっかく始めたブログもすっかりご無沙汰してしまいました。

続けるのって、ほんとにカンタンじゃないですね。

「更新されてないかなって、頻繁にブログを覗いてますよ」って声をかけてくれた職員に、陰口をたたかれてるんじゃないかと気になって仕方がない日々です。

 

ブログは続いていませんが、経営は順調につづいています。

先週の理事会で、7期目となる2017年度の事業報告、決算を承認いただきました。

(ムリヤリ感満点の導入ですみません。久しぶりで腕が衰えてます笑)

 

2017年度は、宮城県など複数の自治体との協働事業がはじまったことが影響して、アスイクが事業を行なうエリアがかなり広がりました。

予算規模も対前年度140%くらいの増加となり、雇用するスタッフやボランティアもそれなりに増えています。

 

もちろんNPOはミッション(ビジョン)・オリエンテッドなので、大きくなることが目的ではありません。

しかし実際に経営をしてみると、以下のような理由から大きくなっていくことも大事だな、と思う今日この頃です。

 

  • ボランティアも含めたスタッフや、事業に関わってくれる組織が増えることで、社会への影響力が増し、貧困に対する社会的な関心も高まっていく。(この点はもっと言葉を足して、改めて整理したいと思ってます)
 
  • 同じ事業の繰り返しになると、組織に停滞感が生まれて、職員が現状維持志向になってチャレンジを避けたり、キャリアの先行きが見えなくなって優秀な職員ほど離職するようになってしまう(のではないか、と僕が恐れている)。
 
  • 企画公募において、特に自治体は、組織の規模や安定性を気にする。全国展開の企業と戦うことになったとき、組織の規模が結果を左右するファクターになることもある。(これについては、実際にある自治体の部長クラスから「やっぱりどうなるかわからないNPOは組む相手として不安」と言われたことがあります)
 
  • 職員の能力開発を進めていく上で、あるいは人間関係の問題などが出たときに対応する上で、ある程度の規模がないとオプションがなくて苦しい。
 
  • 事業をやればやるほど、足りないもの、あったらいいものが見えてくる。
 
  • 代表が新しいことをどんどんやってみることが好き(笑)。
 

言うまでもなく、すべてのNPOがどんどん事業を拡大するべきだとは思ってませんし、それぞれの組織が掲げる目的や色に合った方向性が尊重されるべきです。当然、規模が大きくなることの弊害、難しさも出てきます。

弊害というか、新しく生まれてくる課題については、また別の機会に書いてみたいなと思います。

 

どんどん書きたいことが出てきますね。。。自分の首を絞めてる感じが。。。

 

中途半端な締め方になってしまいましたが、2017年度の事業報告は下記からご覧いただけると嬉しいです。

 

asuiku.org

 

 

法人設立8年目にして…

はじめて、入社式をやりました。
 
4月に入社した、5人の新しい仲間。
そのうち2名は、なんとこれまた初めての新卒採用。
新卒の募集をしていないのに、応募してきた猛者(?)です。
 
1人は、もとからアスイクのパートスタッフで働いていた教員志望の学生。
7年前の震災で被災し、カタリバが運営する女川向学館でいろんな大人に支えられてきたそうです。
自分が大事にしたいことができるのは教員よりも、アスイクと感じたらしく、僕に直談判してきました。
 
もう1人は、大学で福祉を学んできた学生。
生活困窮者の支援に関わる仕事をしたいと考えている中、アスイクというNPOがあることを知り、
いきなり電話してきました(笑)。
某コーヒーチェーンでアルバイトリーダーを任され、店長にかわり、クレーム対応から集客イベントまでバリバリこなしてきたそうです。
 
いやはや。
内定は出したものの、計画通りに事業が立ち上がらなかったら、資金調達できなかったら、、、内定取り消しなんて事態になったらどうしよう...。年末くらいから、それはもう悶々とする日々でした。
 
晴れてこの日を迎えられて、本当に肩の荷がおりました(まだ降ろしちゃいけないか)。
 
この他にも、個性派ぞろいの新メンバー。
 
児童養護施設の職員やスクールソーシャルワーカーとして、“その道”を歩んできた女性。
 
自分のアレルギー体験から、人と同じことができないコンプレックスを糧にして、管理栄養士になった女性。
 
まったくガツガツしてないのに、不動産業界でトップ営業になり、支店長となった後も全国有数の支店をつくった男性。
(入社日直前に網膜剥離で入院したため、1週間遅れての入社になります笑)
 
嬉しいのは、みんな、ボランティア、パートスタッフ、連携先といったカタチでアスイクに関わっていた人たちだということ。
自分の目でみて、働く場所として選んでくれたのは、うちのメンバーが魅力的な場所をつくってくれているからに違いありません。
 
これまでの7年間、思い出すだけで血反吐が出そうなこともたくさんありましたが(笑)、
折れずにつづけてこられて、本当に良かった。
苦しかった当時の自分に、「まぁ、そのうちいいことあるから、信じて耐えろ」と言ってあげたいです。

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社会起業家には、いじめられた経験のある人が多い。

という調査結果があるわけではないので、本当にそうかはわかりません。

でも、サンプル数は少ないですが、僕の身近な人たちには結構な確率で当てはまるんですよね。

 

かくいう僕自身も、そのサンプルのひとりです。

 

小学4年生のころ。

当時の僕は「いじめ」という言葉を知っていたか定かではありません。

ただ、ぎゅっと身体が縮こまるような、平衡感覚を失って宙に放り出されたような感覚は、大人になった今でも体に染みついていて、それを「いじめ」という言葉とともに思い出すことができます。

 

いじめられた理由は明白です。

僕は警察官だった父親の転勤で、福島県の地方都市から会津の奥地の小学校へ転校しました。人口3,000人にも満たない里山の、10人ちょっとしか同級生のいない学校。

毎日山や川で遊んでいるクラスメイトは、みんな真っ黒に日焼けしていて、それに対して僕はもともと色白で、身体的特徴が明らかにみんなと違っていました。

転校生なんて滅多に来ない学校。よそ者を絵に描いたような子どもだったと思います。学芸会でオオカミとヒツジ役を決めるときには、僕の希望なんて関係なく、自動的にヒツジ役。昼食のときが苦痛で、「おかま、こっちに来るなよ」とのけ者にされ、独りぼっちで教室の隅っこで食べていました(陽だまりが暖かかった)。担任のおじいさん先生は、僕のことなんか関心なし(と、少なくとも僕からは見えていた)。

放課後は、行くところなんてどこにもない。信号が町に2つしかなくて、コンビニもない。そんな場所で、放課後に独りぼっちで、どこにも行くところがない。誰も助けてくれない。我ながら、ヘビーな状況だったなと感心します(笑)。

 

そんな僕にも、ようやく友達ができました。人一倍小柄で、彼の胸には大きな手術の痕。授業中に電車が通ると、独特のしぐさで奇声をあげる。あるとき、彼は無賃乗車をして遠く離れた駅で保護され、駐在所に勤めていた父親が連れて帰ってきた記憶があります。

全校生徒が数十人のその学校には、今でいう特別支援学級はなく、彼のような子どもも同じ空間で過ごしていました。彼も僕と同じで、独りぼっちでした。

 

そんな生活も、1年くらい経つとだいぶ変わるもの。僕はヒエラルキーの頂点に近いところにいました。テストは常に1番。父親の影響ではじめた剣道も地域には敵なし。まさに、お山の大将です。コツコツ努力して、上にのし上がっていこうとする猿山スタイルは、このころに身についたのかもしれません(苦笑)。でもそれは、僕にとっては生きていくための「生存戦略」でした。

 

彼とは、日に日に疎遠になっていきました。彼が僕にどんな感情を抱いていたかは、定かではありません。自分自身のことなのに変な表現ですが、僕は子どもながらに、子ども社会の分かりやすい現実を体験しました。彼への罪悪感まではないけれど、ずっと引っ掛かりがあって、今日のように何かの拍子にふと思い出すことがあります。

 

この町には、彼のほかにも、色んな子どもがいました。

 

父親が亡くなって、母親とその実家に転居してきた子ども。

派手な格好をしている母親と、ほとんどお風呂に入っていなくて強烈なにおいを発していた兄妹(今でいうネグレクト)。

ある被差別階級出身の子ども(と先生が言っているのを耳にしてしまった)。

 

思い起こすと、本当に色んな事情を抱えた子どもがいた気がします。

 

そういった子どもたちとの出会いが、今の僕にどういう影響を与えているかは、よくわかりません。少なくとも、彼らを支援が必要な人たちという見方はまったくしていなかった。むしろ、同じ学校に通う子どもというフラットな感覚の方が近い。

ただ、僕の人生に、彼らがいたというのは、まぎれもない事実で、もしそれがなかったら、さまざまな背景をもった子どもたちに「何となく気になる」感じをもつということ、そのものがなかったかもしれません。

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(中1まで4年間暮らしていた、駐在所兼自宅。駐在所に人が住めるんです)

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(町唯一の商店街。周りは山ばかり。射殺されたクマを目撃したのは衝撃だった)

 

仕事に自分を合わせずに、自分に仕事を合わせる。

なんて言葉を、20代の自分に言ったら、たぶん怒ったでしょうね。

なにせ、座右の銘は「人生に期待するのは間違っている。人生があなたに期待している(※)」でしたから。

アウシュビッツから生還した精神科医、V.E.フランクルの言葉。

 

自分らしさ、なんて言葉は大嫌い。

人の役に立って、人から必要とされて、自分の存在意義がみえてくる。

だから、とにかく自分を中心に据える生き方を捨てなければならない。

そんな風に生きようともがいてきた結果、震災をはじめとしたさまざまな偶然が重なって、僕はNPOを経営することになったのでした。

 

過分な評価ですが、震災後の社会起業家の代表格と評価いただくこともありました。

それは、同時にプレッシャーにもなっていきました。

支えていただいたご恩に報いなければならない。

目の前にある機会や課題に、しっかり対応しなければならない。

周りからの期待に応えなければならない。

経営者としてのあるべき姿に忠実でいなければならない。

こういった思考の裏には、たぶん「恐れ」もあるのだと思います。

がっかりされたくない。

馬鹿にされたくない。

今の立場を失いたくない。

たとえば、そういった恐れ。

そして、こういったことが頭の大半を占めていくにつれ、傍目の順調さとは裏腹に、自分と仕事のつながりが遠ざかるような感覚も増えていきました。

(これはNPO代表の「あるある」だと思ってます)

 

数年前、あるワークショップで突きつけられた言葉があります。

「あなたを見てると、仕事をしているのが辛そうだ」

初対面の人にそんなこと言われたくない、と怒りがこみ上げました。

でも、実は自分への怒りだったのでしょうね。

自分でもうすうす勘づいていた。

 

それから色々なことがあって、「頭」と「体」と「心」のバランスを大事にしながら生きていくことを意識するようになりました。

達磨落としのように、この3つが積みあがっているイメージ。

やっぱりバランスを崩してしまうことがありますが、でもバランスが崩れていることに気づけるようになったのは、僕にとっては大きな進歩です。

 

だいぶ前置きが長くなってしまいましたが、こういったプロセスの中で「本当の仕事」というワークショップに参加してきました。

タイトルだけ見ると怪しさ満点かもしれませんが(笑)、日本で最も有名なコーチング会社であるCTIジャパンを創設した榎本英剛さんという方の思想をベースにしたワークショップで、わかりやすく深みのある内容です。

 

僕の浅はかで偏りのある理解ですが、理由もないけど好きなこと、時間が経つのを忘れてしまうこと、言葉では説明できないけど惹かれてしまうこと(ワークショップでは「純粋意欲」と呼びます)に忠実に生きようというのが、大きなメッセージだったと思います。

 

で、タイトルに戻るんですが、僕も含め、ほとんどの人は仕事に自分を合わせて生きていると言っても過言ではないでしょう。

でも、本当にそれは正しいことなのか。実は自分の純粋意欲をしっかり受け止め、それに合うような仕事を探したり、つくったりする。あるいは、今の仕事への向き合い方を変えてみる。つまりは、自分に仕事を合わせるという生き方も選べるのではないか。

 

自分に仕事を合わせると、今まで固定観念に縛られてきた仕事の見え方(ワークショップでは「メガネ」という表現を使います)が変わってきます。

仕事は一つじゃなければならない、というわけではない。

仕事はお金につながらなければならない、というものでもない。などなど。

 

僕はこのワークショップに参加して、大げさかもしれませんが、これからの人生が楽しみになりました。自分には、自分の生き方を選択できる自由とか、チカラがあると感じた気がします。同時に、今の仕事をまた新しい角度からとらえ直すことができ、やりたいことがたくさん溢れてきました(笑)。

 

ワークショップから帰る途中、ふと頭をよぎった恩師でもある加藤哲夫さんの言葉。

何か通底するものがあるなと感じました。

 

「無意識にひかれるものってあるじゃない。"なんとなく"を、大切にしてください。行ってダメだったら、別のところにいけばいいのです」

「何が気になるかは、わからない。わかる必要はないんです。気になることの方向性に歩んでいけばいい。そうやって20年やってきたら、足跡がひとつながりになって、なんで気になったのかな、ということがようやくわかってきます」

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(ワークショップの開催場所は、waccaという素敵なイベントスペース。オーナーさんの自宅でもあるんですが、そのストーリーが本当に感動的で、涙を抑えらえない参加者もいました)

 

インド紀行 Part3

さて、インド紀行第3部(後づけ)も、今回でようやく終了です。

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ちょいと疲れてきたので、パピーのいやしショットで一息。

が、インドって狂犬病で亡くなる人が世界一多い国なんだそうです。確かに、町中に野良犬が寝転がっていました。「たぶん大丈夫だけど、夜になると狂暴化するから気をつけて」。そんな現地スタッフからのアドバイスを思い出してしまうと、こんなパピーにも多少ココロがざわつきます。。。

 

さて、一行はデリーから飛行機で2時間半。インド南部の都市、バンガロールへ。

まず驚くのは、デリーとは対照的な整然とした街並み。クラクションを鳴らして走る車もほとんどいなければ(デリーではクラクションを鳴らしていない車がレア)、道端に落ちているゴミも少ない。さすが、インドのシリコンバレーともいわれる都市です。

社会起業家の父ともいわれるビル・ドレイトンが創設したアショカ財団。そのインド支部であるアショカインディアは、閑静な町の一角にありました。日本の麻布十番を連想させるような、セレブ感ただよう町並みです。

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アショカは、ハイブリッド・バリュー・チェーンと呼ばれる、企業と社会起業家がタッグを組んで社会問題の解決を加速する手法を推進し始めています。

BoPと呼ばれる膨大な未開拓のマーケットである貧困層に対して、現場に近い社会起業家がその知見やネットワーク、効率的なオペレーションを、企業が製品・サービスを提供するというコンセプト。日本で僕たちが進めている動き方に、非常に近いものがあります。

本場でこのコンセプトを学べるとワクワクして、失敗例やコラボレーションのポイントを質問したのですが、答えをもらえないまま、時間が終わってしまいました。どうやらインドでもまだそこまでの知見が蓄積されておらず、また某世界的コンサルティングファーム出身者がほとんどを占めるアショカでは、あまりそのあたりの情報をオープンにしないのではないか、とのこと。これには、ひじょうにガックリきました。

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モヤモヤした気持ちのまま、次のミーティングへ。

 

ソーシャルベンチャーパートナーズ(SVP)インディアのメンバーとのダイアログ。

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SVPは、シアトル発祥のソーシャルベンチャー支援組織。民間企業のプロフェショナルを中心としたパートナーが、お金、専門性、時間を投資して、ソーシャルベンチャーの成長をサポートする活動です。日本にも、SVP東京 http://www.svptokyo.org/ SVP四国が立ち上がっています。

 

SVPインドはまだ立ち上がったばかりのようでしたが、何億という資産を築いた起業家や某大企業のトップマネジメントの関係者が関わっていたりと、日本とはまた違ったスケール感にやや圧倒されてしまいました。

 

しかし、どうやらインドでも景気後退の後にGrantやDonationが減ってきており、NGOやソーシャルベンチャーの資金調達も苦しくなってきているようです。

地方で子どもたちのLearning Centerを運営し、その運転資金を都市部に建てた図書館からの収益でねん出している教育NGOの事例などは、なかなかに面白そうでした。(NGOが図書館の株式の51%を保有しているらしく、インドではこんなこともありなんだ、と感心しましたが、日本でもあながち不可能なことではないかもしれません)

 

翌日に訪れたのは、同じくバンガロールにあるアユールヴェード医院。

インドにはアユールヴェードという伝統医療がありますが、対症療法的な西洋医療ではカバーできない生活習慣、生き方そのものにまで踏み込んだ療法です。これを現代に甦らせたのが、ラジブ氏。 

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アユールヴェード医院の面白いところは、この伝統医療に近代的マネジメントの手法を掛け合わせ、高品質で再現可能な医療行為として普及させようとしているところです。元モトローラインドのCEOという経歴をもつラジブ氏。元々モトローラ社が開発したシックスシグマという品質管理手法を応用し、経験・暗黙知にたよりがちだった伝統医療を標準化しています。

また、西洋医療にくらべて医療費自体も格段に安いため、保険会社とも提携してより多くの人がこの伝統医療を受けられるように仕掛けているそうです。

 

この視察ツアーも、いよいよ最後です。

占めは、古着などを農村部へ提供しているグーンジュ。http://goonj.org/

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農村地域にリサイクル品を届けるチャリティ活動かと思いきや、「洋服は通貨」という一瞬「?」な思想が飛び出します。

グーンジュでは、タダでリサイクル品を配るということをしません。リサイクル品を提供する代わりに、村人たちが地域清掃をしたり、橋を建てたり、必ず村人主体のプロジェクトを実施することを求めます。なぜでしょう。

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その理由を語る、元ジャーナリストのアンシュ氏(アショカフェロー)。

アンシュ氏は、「尊厳を守るためだ」と端的に語ります。無償の施しを与えられ、村人たちの尊厳を傷つけてはいけない。これは、以前のブログに書きましたが、僕たちも無償の支援による負の側面に気づいていたため、心の底から共感する言葉でした。

ある日、極寒の農村地帯で村人が凍え死に、その遺体に寒さをしのぐため子どもが抱き着いて寝ている光景を目の当たりにし、この活動をはじめたそうです。

そこまで深く聞き取れなかったのですが、おそらく彼は、衣服を提供することで凍死という尊厳のない死をふせぎ、さらに施しを与えないことで村人たちの尊厳を守る。そんな風に、「尊厳を守ること」を軸に据えて、この事業を組み立てたのではないでしょうか。

貧困層にリサイクル品を提供する事業じゃないんです。何のための事業なのか。その核を研ぎ澄ませることが、どれだけ事業に深みと共感をもたらすか。アンシュ氏との短いやり取りの中で、考えさせられました。

 

以上、かなりあっさりでしたが、9日間のインドでの体験です。

あらためてまとめてみると、やはり表面的な理解で終わっているな、と少しだけ侘しい気分になります。

でも、限られた情報の中にも、何か大きな道筋がぼんやりと見えてきたような感覚もあったと言いたい。

 

リサイクル品を通して、農村にすむ人々の尊厳を守ることを目指すグーンジュ。

村の起業家のチカラを引き出して持続可能な村を目指すドリシュテ。

 

彼らから、「社会的な弱者への支援」という言葉は一言も発せられなかった。

支援する、される上下関係ではなく、おなじ社会の一員としての対等さ、可能性を信じ、それを事業活動を通して体現している。

だからこそ、これだけ多くの人に受け入れられ、影響を与えている。

 

そして、

スケールアウトは、目の前の凡事に徹底し、スタッフのモチベーションを邪魔しなかった結果だと語るアイボランティアのラウール氏。

できないことをできないと正直に言い、村の起業家自身の目的の実現をサポートすることを大切にしているドリシュテのスタッフたち。

 

圧倒的な社会インパクトは、信頼、凡事徹底、人のチカラ、そういった小さなことの積み上げにすぎないことを、身をもって示している。

 

これだけのすごい取り組みを表すには、ちょっと感傷的で輪郭のぼやけた言葉かもしれません。それでも僕にとっては十分すぎるくらい、この先の道を示してくれた気がします。

 

もう、そろそろインドじゃない国にも行ってみたいと思います。とか言ってると、またお呼びがかかりそうな気も。そういう人生なんです、きっと。

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