アスイク 代表のブログ

こどもの貧困問題、NPOの経営、生き方在り方などについて。

大津事件から考える、一次予防と二次予防

大津市で園児14人がケガをし、2人が亡くなるという痛ましい事故があった。

 

レイモンド淡海保育園の運営法人は、当日中に記者会見を開催。

号泣する園長に対して、責めるような質問をしたマスコミへの批判が起きた。

 

この点については、京都新聞が事実確認、再発防止の喚起などを行なうためには

必要な質問であり、必ずしも不適切とはいえないとのコメントを発表。

情報の「切り取り」と「誤解」を批判されやすいメディア自身が、

限られた情報で曲解を防ぐことの難しさを考えさせられた事件であったかもしれない。

 

保育園をはじめ、子どもたちと関わる事業を行なっている私たちも、

今回の事故は他人事ではない。

 

大津の事故だけでなく、渋谷の児童養護施設で施設長が元入所者によって刺殺された事件、

長期休み明けに頻発する子どもたちの自殺など、児童福祉・教育の分野で起きた事件・

事故の報道は増加をたどっている印象を受ける。

 

安全管理を徹底することは当然のことながら、万が一事件・事故が起きてしまった場合に、

初動をどうするべきか。

 

前述の通り、大津事故での記者会見は早かった。

これについては、メディアスクラム(メディアによる職員、保護者などの関係者に

対する過熱取材)を予防するための手であったという見方がある。

 

確かに、もし早急に記者会見を開かなければ、その場で起こったような光景が、

イチ職員、イチ保護者とメディアの間で繰り広げられていた可能性は十分あるだろう。

 

それによって、精神的に過剰な負荷を感じる職員や保護者が生まれ、

情報の錯そうと混乱、さらなる過剰取材というサイクルが起きたかもしれない。

 

情報、窓口を一元集約して、スピーディに対応した同法人の対応は賢明ではなかったか。

そして、迅速な対応を可能としたのは、言うまでもなく「日頃の万が一への備え」だろう。

 

サービスの利用者とスタッフを守るためには、事件・事故の一次被害を防ぐと同時に、

二次被害を予防するという視点も持たなければならない。

「働く」ことについての本当に大切なこと

ブログの更新が久しぶりになりすぎて、長いこと足が遠ざかっていたサークルに顔を出すような、気恥ずかしい気持ちです。

 

保育園も無事に開園し、

開園式を開催しました! - 仙台駅東口の夜間保育 「アスイク保育園」のブログ

別の新規事業もスムーズにスタート。

2018年度の決算や報告書関係もあらかた片づき、気持ちよくGWに。

と思ったら、気が抜けたのか、風邪から副鼻腔炎のコンボ。

すっかり療養モードのGWとなってしまいました。。。

 

ここ数ヶ月は本を読む気にもならないほど落ち着きがなかったわけですが、療養モードも相まって、ようやく湧き上がってきた読書欲。

 

前から気になっていた本を、ついにゲットしました。

 

www.amazon.co.jp

 

なぜ気になっていたかというと、第一にリクルート時代の上司が書いた本だから。

著者の古野さんは、アスイク保育園を開園するときのクラウドファンディングに協力してくださったり、ぼんやりと観ていた「歴史秘話ヒストリア」にいきなり登場したりと、(失礼な表現ですが)最近よく現れる存在でした。ついにはアマゾンのおすすめにも現れて、これは運命だなと感じた次第。

もう一つの理由は、これからの時代にどう生きるか、どう働くか、あるいは働くということをどう扱うべきかというテーマは、自分にとって大きな関心ごとだったからです。

AIが普及して今ある仕事がなくなっていくこと。

社会保障費がひっ迫する中で「定年」という概念がなくなり、体が動くうちは働かなければならなくなること。

万が一にもベーシックインカムが導入されれば、労働と所得が切り離される時代が来るかもしれないこと。

僕たちの親世代が経験してきた生き方、働き方と、僕たちや子どもたちの世代が経験するそれは、間違いなく違うカタチになるでしょう。

それは一体どういうカタチなのか。

曲がりなりにも子どもや若者の自立を支える仕事をしている者として、そして自分自身の生き方に悩みつづける一人の当事者として、探求していきたいと感じていました。

 

ネタバレにはならないと思いますが、この本は「答え」は教えてくれません。

ここに書かれているのは、どう社会が変化しようとも変わることのない人間の「あり方」、「幸せに働く方法」かもしれません。

 

苦労して目指していたものにたどり着いたとき、実は自分が求めていたものはそこにはなかった、ということは少なくないだろうと思います。そこで大事になるのは、そこに至る過程そのものを楽しむこと。いつしか生き残ることが目的になってしまい、生き残った時に心は死んでいたということにならないために必要な考え方です。

 

人は何かを得ることによって、それが当たり前になり、さらに多くのものを手に入れたくなり、無間地獄にはまっていくことも、人間の姿でしょう。今あるものや自分を生かしてくれているものに感謝することが、このループから抜け出すための行動だという指摘は、「足るを知る」などの先人の言葉が、実は深い人間理解から生まれたものだと気づかせてくれます。

 

幸せに働くために必要なのは、仕事が居場所になっていること。居場所とは、「役割がある」、「受け入れられている」、「安心を感じる」、「ありのままの自分でいられる」といった要素が満たされている場所。そういった居場所を見つけるには、受動的なだけではダメで、仕事や環境を自分に合うように働きかけたり、能力を高めつづける必要もあること。いわば、自分と社会の相互作用によって、居場所は見つかっていく。

 

これらの他にも、幸せに働くために考えるべきことが、古今東西の研究やエピソードを交えながら豊富に散りばめられています。

 

少し自分たちの仕事を顧みると、子どもの貧困問題とは、現代社会で幸せに働くことからより排除されやすい子どもたちの問題であるとみることもできます。

一方で、支援者を自認する人たちや社会の視座は、学力を高めたり、進学率を高めたり、就職率を高めることに偏りがちな危うさをはらんでいると感じることもあります。いま目の前の子どもたちの状況や主訴に寄り添ったとき、そういった視座は必ずしも間違ったものとは言えませんし、軽視してよいものでもありません。本書を読むような基礎的能力や余力すらないまま、大人になっていく子どもたちも大勢います。

しかし、本来子どもたちの自立を支える(あるいは幸せを感じられる生き方を後押しする)ためには、本書に散りばめられているような普遍性の高い「あり方」、「生き方」を社会が理解し、体現し、子どもたちにも伝えていかなければならないはずです。

 

最後に雑感ですが、ありのままの自分を受け入れるとか、コントロールできないものを手放すだとか、執着を手放す(足るを知る的発想)とか、仏教的思想が根底にあるような印象を受けました。もともと仏教も幸せに生きる(苦しみから解放される)ことを追求した宗教だから通じるものがあって当然なわけですが、これからの生き方や働き方を考えるにあたって、宗教的なエッセンスはますます見直されていくのだと思います。

新規事業!こどもの貧困問題に貢献する保育園を立ち上げます。

年末の仕事に忙殺され、ブログの更新が久しぶりになってしまいました。

アスイクの活動に参加してくださっている皆さま、関心をもってくださっている皆さまへご報告です。

当団体では、新規事業として保育園の開園を行なうこととなりました。

オープンは2019年4月予定。急ピッチで準備を進めています。

本日からクラウドファンディングで開設資金の寄付募集も開始。

ぜひ、あなたのチカラをお貸しください。

camp-fire.jp

開設に至った経緯や、保育園のコンセプトは以下の記事をご確認いただけば嬉しいです。

 

▼被災者支援から、こどもの貧困問題へ。

はじめまして、NPO法人アスイクの代表の大橋です。

私たちは2011年3月の東日本大震災の直後に避難所の中で立ち上がり、子どもたちの学習支援を行なってきました。

避難所や仮設住宅で活動をつづける中で出会った、お母様が精神疾患がある母子世帯の子ども、多重債務があり地域を転々としてきたために学校にほとんど通っていない子ども。震災は、震災以前から存在していたこどもの貧困問題を浮き彫りにしていることに気づき、被災者支援からこども貧困問題へ舵を大きく切りました。

▼こどもだけでなく、家庭まるごと地域で支える。

もう一つの気づきは、子どもを支えるためには保護者も含めて家庭の困りごとをサポートしなければならないということ。就労、家計、健康、障がい、不適切養育、家族関係など、複雑にこんがらがった問題に対応するためには、地域の多様な機関とのネットワークが不可欠です。このような思想に基づいて、宮城県内の自治体やみやぎ生協などと協働し、学習支援、フリースクールこども食堂など、こどもと保護者を支える事業をつくってきました。


2018年現在、私たちが運営する居場所は37ヶ所。その居場所を利用するこどもは、600人以上。そのこどもと保護者を支えるスタッフは、有給スタッフ80名、ボランティア400名という規模に発展しています。




▼直面している「事業」の課題

さまざまな事業を展開する一方、これまでの事業の対象は中学生や高校生年代のこどもたちが中心でした。しかし中には、なぜもっと早く誰かがSOSに気づき、必要な支援につながってこなかったのかと、胸が苦しくなるこどももいます。

数年前、16歳の女の子が親戚につれられて相談にやってきました。その子は親に代わり幼い弟の面倒をみるために、高校には進学していませんでした。

「親との関係が悪くなり、家を出た。小さいこどもの面倒を見るのは好きなので、保育士になりたいけど、ほとんど学校に行ったこともなく、勉強はまったくわからない。自分ではどうしたらいいかわからない」

「小さい頃の記憶が飛んでいる。栄養失調で倒れて、病院で目を覚ました記憶がある。そのときの後遺症で、今も爪が生えない指がある。大人になって母子手帳をみたら、健診とか空白だらけだった」

それぞれに事情は異なれど、「なぜ、もっと小さい頃に誰かがSOSに気づけなかったのか」と、やるせない気持ちになるこどもたちが大勢います。

ヘックマンのデータを持ち出すまでもなく、さまざまなリスクを抱えたこどもと親を、幼少期から切れ目なく見守ることが大切です。そのために私たちは、より低年齢のこどもたちから関われる事業の必要性を感じていました。


▼直面している「組織」の課題

さまざまな困難を抱えるこどもや保護者を支えることができるのは、人でしかありません。特に、福祉の専門性をもったスタッフ、大勢のボランティアや現場のスタッフをコーディネートできるスタッフなどは、私たちの事業コンセプトの「核」です。

私たちの組織は、女性の比率が多く、30歳前後のスタッフが主力。また、こどもたちが居場所にやってくる時間に合わせて、21時過ぎまでのシフトが多い勤務体系という特徴もあります。

性別に関わらずですが、時間をかけてチカラをつけ、家庭や地域とのネットワークをひろげてきたスタッフが子育てをしながら働きつづけやすい環境をつくっていくことが、経営者の頭を悩ませる大きな経営課題でした。

 

▼保育園は、一石二鳥の解決策。

そんなモヤモヤした悩みを抱えているときに知ったのが、企業主導型保育という新しい制度でした。この制度では、企業が自社(や提携企業)の従業員むけの保育園をつくることができ、利用者や開園時間などをかなり自由に決めることができます。加えて、地域のこどもを受けいれることもできる。

まさに、私たちの事業と組織の課題を一石二鳥で解決できるのではないか。そう思った瞬間から、昼夜を忘れて制度の勉強と計画づくりに没頭しました。

▼現実の厳しさを思い知らされる。

次に動いたのは、物件探し。ちょうど事務所が入っているビルの上のフロアが空いていたので、「まさに運命」と私のテンションはさらに上昇しました。

私たちの事務所は仙台駅の目の前にあるので、オフィスビルだけでなく、アパレルや飲食店、コールセンターなどのシフト型で働く人もたくさんいるエリア。特にひとり親家庭など、夜まで子どもを預けられないことが失業や生活費の不足につながりやすい方々に利用していただくことで、こどもの貧困問題に大きく貢献できるはず。

設計士や内装会社と打ち合わせを重ね、カンタンな設計図もできた。オーナーからも快い返事をいただけた。順調順調と勢いづいていたある日、設計士からの電話。

「大橋さん、あの物件じゃ保育園はつくれないよ。ダメ」

耳を疑い、血の気が引きました。2階以上は2方向に避難用の階段がないと保育園として使えない。今となっては、そんな基本的なこともわかっていなかった自分を恥じますが、諦めきれず、建物の裏側にハシゴを作る方法はどうか、バルコニーに滑り台をつくるのはできないかなど、あれやこれやと駄々をこねました。とうぜん、結果は変わりません。

もう申請の〆切までに時間がない。気持ちを切りかえて、方々の不動産会社をあたりましたが、「そんな条件に合う物件はないですね」とつれない反応ばかり。それもそのはずで、所狭しとビルが立ち並ぶ仙台駅前で、2方向に階段を設けられるような物件はそうそうありません。あったとしても、小さいこどもが利用すること、トイレや調理設備をつくらなければならないことなどを敬遠されるオーナーがほとんど。

じゃあ、2方向階段が不要な1階の路面物件はというと、ご推察のとおり、人気で空きがなく、空いていても賃料が圧倒的な予算オーバー。家賃交渉で撃沈したことも数知れず。

割に合わないので、チカラをかけて対応してくれる不動産会社もほとんどいない。

もう自分の足で探すしかないと、時間さえあれば歩き回って穴場物件がないか探し回る日々がつづきました。

そんなある日、2階が空いている古いビルを発見。何度確認しても、ちゃんと階段が2つある。不動産会社を経由してオーナーに保育園の用途がOKか確認してもらったところ、OKの返事。家賃交渉も、なんと希望通りの回答。

この時点で申請の〆切りまで1ヶ月を切っており、ギリギリセーフの状態でした。設計士、内装会社と急ピッチで打ち合わせを重ねていったある日、設計士からの電話。

「大橋さん、あの物件じゃ保育園はつくれないよ。ダメ」

え。

呼吸が止まりました。図面を見ていてイヤな予感がした設計士が役所に確認したところ、予感的中で建築後に検査を受けていない違法物件だと判明したそうです。

付き合ってくれていた内装会社からも、さすがに降りさせてくれと連絡。泣き面に蜂。

これまで幾度となくカベにぶち当たり、その度に乗り越えてきました。しぶとさには自信があった私も、さすがに今回ばかりはムリかと諦めました。やらない方がいいという天の声なんだと自分に言い聞かせました。

▼幸運。

うつろな目でフラフラと歩いていると、ふと視界に入ったレトロな駄菓子屋。

あぁ、そういえばこんな近くに駄菓子屋があったな。と、通り過ぎてから、足が止まりました。

貸してくれないかな。いや、ふつうに営業してるのに何考えてんだ。でも、どうせダメなら最後にもう一回だけ悪あがきしてみよう。

何を思ったか、入り口近くでイスに座ってテレビをみている店主におそるおそる話しかけました。

「実は保育園をつくれる物件を探してまして、すごくいいところだなと思ったら思わず入ってしまいました」

店主の疑いのまなざしに、あぁ何やってんだと思いながら、つらつらと自分がやりたいことを話していると、しだいに打ち解けていき、そして思いもよらない言葉が。

「そうか。俺も、もう引退したいって考えてたんだ」

え。本当ですか。

「家賃はなんぼがいいの」

怒らないで聞いていただきたいのですが、、、○○万円で探してます。

「わかった」

え。ほ、本当ですか。

こんな小説みたいなことがあっていいの? 

と疑心暗鬼になりながらも、開園の申請作業が急ピッチで進められていったのでした。

 

▼アスイク保育園は、こんな園。

あれから5ヶ月。

こまごまとしたカベはたくさんありますが、2019年4月の開園に向けて、前に進んでいます。

アスイク保育園のご紹介は、できたてホヤホヤのウェブサイトをご覧いただければ嬉しいです。 

asuikuhoikuen.asuiku.org

▼資金の使い道

いただいたご寄付は、全額を保育園の運営に必要な備品の費用として活用させていただきます。

保育園の備品等の購入に必要な経費:1,184万円

上記の備品等には、ロッカーやテーブル・椅子・おもちゃといった子どもたちが日常的に使用する備品の他(約400万円)、こどももたちの健康を支える調理室の機材(約600万円)、こどもたちの外遊びに必要なプールや砂場(約100万円)などが含まれています。

必要な経費の3/4は、宮城県補助金で補てんすることができるため、実際に必要な金額は約300万円となります。

 

▼リターンについて

ご寄付いただいた金額に応じて、寄付者プレートへのお名前の記載、開園式へのご招待といったリターンを設定させていただきました。小さな歴史にお名前を残してください。

 

▼スタッフも募集中!

保育スタッフとして、調理スタッフとして、

私たちの目指す保育園を、一緒につくり上げてくださる仲間も募集しています。

▼最後に

私たちは、ボランティアや寄付など、さまざまなカタチで事業にかかわっていただくことで、多くの方がこどもや保護者が抱える問題に当事者意識をもつキッカケをつくることを大事にしてきました。今回のクラウドファンディングも、資金集めという意味だけでなく、こどもと保護者に大勢の方が見守っているんだというメッセージを伝えたく、実施しています。

少額でも結構です。ぜひ、こどもと保護者を支えるひとりとして、ご参加いただけると嬉しいです。

camp-fire.jp

 

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本件に関するお問合せ先
NPO法人アスイク
E-mail: admin@asuiku.org

◆税制優遇について
NPO法人アスイクは「特定非営利活動法人NPO法人)」として認定されていますが、このクラウドファンディングを支援することで、支援者が税制優遇を受けることはありません。

ジュディとの出会いと別れ

きっとどの起業家・経営者にもある、「恩人」との出会い。

 

僕自身も、この8年でたくさんの恩人とめぐり逢い、助けられ、生かされてきました。

その一人に、ジュディという女性がいます。

 

2011年秋、法人化したばかりのアスイクは、仮設住宅で子どもたちの学習サポートを行なっていました。でも、その何倍もの方々が生活していたのが、そこらじゅうの賃貸住宅が仮設扱いになっているみなし仮設。じゃあ、みなし仮設で暮らしている子どもたちの居場所もつくらねば、と考えたものの、どこの馬の骨ともわからないNPOに、しかも不特定多数のこどもが集まる場所として貸してくれるオーナーは多くありません。

 

どこでもよければ貸し手もいたと思いますが、あちこちに散らばっているみなし仮設の子どもたちが来やすい場所となると、仙台駅近くでなければならなかった。そして、そんな利便性のよいテナントを借りれる資金面の余裕は、当時の私たちにはありませんでした。

 

そんなとき、不動産会社の方から紹介していただいたあるテナント。仙台駅の隣駅からすぐ、広さも十分で、目の前には公園。ここしかないと思ったものの、家賃は提示されいている価格の1/3しか出すことができなかった。案の定、オーナーさんからは断られてしまいました。

 

でも、ここしかない!という思いに駆られた僕はあきらめきれず、テナントの2階に住んでいるオーナーさんのお宅を訪問。もう断られているのだから、別に失うものもない。万が一借りられたら、それを必要とする子どもたちの役に立つんだから、怒られるかもしれないけどやってみよう。そんな風に自分を奮い立たせ、新聞記事のスクラップ片手に、オーナーさんに頼み込んだ記憶があります。

(注:オーナーさんに直接アタックするのはルール違反。これをやると不動産会社からはめちゃくちゃ怒られるのでマネしないでください)

 

その数日後、不動産会社の方から電話。「オーナーさん、OKでましたよ」。

後から聞いた話では、オーナーさんは迷っていらっしゃったのですが、奥さまが貸してあげなさいよ、と背中を押してくださったそうです。その奥さまが、ジュディでした。

(この不動産会社の方も有名な方で、こんな失礼な若造を怒りもせずに支えてくださった恩人のひとりです)

 

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(当時借りていた学習支援拠点兼事務所。初めて借りることができた場所でもある)

 

ジュディは、ご自宅を開放して個人の英語塾を開催していました。同時に、その地区の主任児童委員も担っていました。そして、歴とした日本人です(笑)。

 

私もボランティアに参加していいかしら。控えめに声をかけてくださったジュディは、その日から毎週火曜日に1階のテナントにやってきて、子どもたちに英語を教えてくれました。

 

やんちゃな子どもに「何て呼べばいい?」と聞かれ、「プリーズ・コール・ミー・ジュディ」と答えたジュディ。その日から、彼女の名札にはジュディの文字が入りました。

 

いつしかジュディが来る日は、食事つきの学習会となりました。料理が得意なジュディは、2階の自宅でつくった料理をたくさん持ってきてくれて、子どもや学生のボランティアにふるまってくれたのです。こども食堂が広まるずっと前から、アスイクの学習会にはそんな光景が広がっていました。

 

深夜に仕事を終え、帰宅しようと自転車にまたがったとき、「シチュー持って帰らないー?」と2階の窓から声をかけてくださったジュディの顔がよみがえります。

 

その場所での学習サポートが一区切りついてから、ジュディの顔を見ることはめっきり少なくなりました。

ジュディが癌になり、闘病している。

だいぶ後になってから、その事実を知りました。

そして、お亡くなりになったと聞くまでに、それほど時間はかかりませんでした。

2014年7月のこと。

 

民生児童委員対象の研修を準備していて、ふとよみがえった記憶でした。

 

ジュディのおかげで、8年経ったいまも、こうしてアスイクがつづいています。

感謝の気持ちしかありません。

ありがとうございました。

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(右手前の女性がジュディ。やさしさがにじみ出ているような方でした)

データでチェック、仙台市のこども食堂事情

こども食堂ネタがつづきますが…

仙台市社会福祉協議会が把握しているこども食堂の情報を教えてもらったので、

さくっとデータにしてまとめておきます。

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まずは開催場所ですが、一番多いのは公共施設。利用料減免の適用になるこども食堂も増えているそうですね。

意外にも次に多かったのが、自主拠点。レストランや地域サロンなどをもともと運営している団体が、その場所を使って開設するパターンも少なくない模様。

生協の集会室を使っているところが4件あるのは、こども食堂の支援にチカラを入れているみやぎ生協がある仙台の特徴だと思います。

 

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一つ一つの実施場所をチマチマと入力した結果が、上のマップ。

こうしてみると、仙台市内の広範囲に広まっていることがわかります。小学生ぐらいの子どもの徒歩圏内にこども食堂を、と考えると、まだまだ足りないですが。

愛子や錦が丘方面、太白団地や茂庭台方面、長町方面などは、手薄な感じが見て取れます。

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つづいて、開催頻度。

月1回が多いのは予想通りですが、隔月も多いんですね。まずは無理のない範囲で活動をはじめているこども食堂が多いようです。

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開催曜日を見てみると、土日と平日にはそれほど差がないことが分かります。

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開催時間帯も、昼と夜が拮抗しています。

すべてがそうではありませんが、平日開催は夜に、土日開催は昼に、という組み合わせが多いですね。

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最後に名称についても、分析してみました。

面白いことに、こども食堂という言葉を活動につかっている団体、つかっていない団体は半々でした。こども食堂貧困層の子どもが行く場所というイメージをもつ人も少なくなく、あえてこども食堂という看板を掲げない団体が増えてます。

 

以上、手元にある情報ではここまでが限界ですが、体系的なデータがなく、いまだに謎多き(?)こども食堂を理解する参考になれば。

全国のこども食堂数が約2300ヶ所(2018年4月時点)で、人口1万人当たり0.18ヶ所。

それに対して仙台市は25ヶ所程度、人口1万人当たり0.23ヶ所で、全国と大きな差はなし。

ということからやや強引に考えると、仙台市こども食堂の状況は、全国の状況とそれほど大きく変わらないのではないでしょうか。

 

※本データは、厳密な調査に基づいた内容ではなく、正確性を保証できないことをご了承ください。グラフによってN値が異なるのは、1団体が複数の拠点を運営している場合があるため、データが欠落している項目があるためです。

【追記】仙台市内のこども食堂の数は、30ヶ所をずっと上回っているというご指摘をいただきました。ここで取り上げているのは、あくまでイチ参考資料に基づく内容であり、必ずしも実態を正確に表しているものではないことを補足します。そもそもの正確性とは何かという議論はありますが、正確な情報を把握したデータはないようです。

子ども食堂は、虐待予防の砦となるか。

11月は「児童虐待防止推進月間」なんですね。

年末にかけて虐待が増えるからなのか…と思ったけど、そうではないみたい。

ざくっと調べただけなので間違っているかもしれませんが、厚労省児童虐待防止対策協議会が設置されたのが平成11年11月だからのようです。

 

背景はさておき、啓発活動の一環として、各地で開催されるフォーラム。

何の因果か、子ども食堂をテーマにしたパネルディスカッションにお招きいただきました。率直に言って冷や汗ダラダラですが、思考の整理もかねて子ども食堂が虐待問題にどう貢献するか、考えをまとめておきます。

 

個人的に、耳にするたびにモヤっとする「虐待」という言葉。マスコミで取り上げられる事件のイメージもあって、虐待は、糾弾すべきもの、一部の異常な親がやること、という受け止め方が強い感じがします。

でも、虐待への過剰反応は、子育てに難しさを抱えている親を社会から孤立させ、親の負の感情が子どもに向かってしまうサイクルを助長しかねない。それに、虐待は自分の“外”にあるという考えは、我が事として虐待が生まれにくい社会をつくっていくことにつながらない気がします。

虐待は、もっと幅の広い行為であって、程度の差こそあれ、誰にでも起こしうる可能性があるもの、と捉え直す必要があるのではないかと思うのです。

「実は子どもを虐待してしまっているかもしれない…」、「いやいや、実は自分も昔はね…」と、虐待を口にしやすい社会をつくっていくことが、究極の虐待対策なんじゃないか。

ただ当然、法的な裏付けをもって介入しなければならない、緊急性の高いケースもあります。大切なのは、「緊急性の高い虐待」、「誰にでも起こし得る虐待」の両面から、この問題を捉えていく視座ではないかと思います。

最近は、虐待に代わるものとして「マルトリートメント」(子どもを怒鳴るなどの行為も含めた、不適切な養育行動の総称)という言葉が注目されていますね。ここでは虐待という言葉を使いますが、マルトリートメント的な意味合いを含めて使っていると認識いただければ嬉しいです。

 

さて、本題に戻りまして、 子ども食堂が虐待予防にどう貢献するか。

これまた子ども食堂と一口に言っても、共生型食堂、ケア付き食堂といった大まかな分類があり、さらにそれぞれに、受け入れ年齢層、子ども以外の参加者の有無、開催頻度、時間帯、料金設定、実施場所、スタッフ体制、プログラム、(子ども食堂を使うか否かの)名称など、多様な要素があって、要は一口に言えません(汗)。

なので、とりあえずシンプルに、月2回程度、夜に公民館をつかって開催していて、主に低年齢の子どもと保護者が利用する、無料の食事とだんらんを提供するような子ども食堂を想定します。

図:虐待対策に子ども食堂が貢献できること

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まず右下。保護者が参加する子ども食堂では、ここが虐待予防にもっとも貢献できることだと思います。澱のようにたまった保護者の不満や不安をはき出してもらったり、受け止める。それで保護者自身の気持ちが軽くなったり、自分の行動を振り返る余裕が生まれる(心のスペースづくり)。

さらに、同じような悩みを抱えた保護者同士がつながって、お互いを支え合う関係が生まれることで、上のような心のスペースづくりがもっと持続的なものになる。

実際に、他県からほぼ一文無しでやってきた母子家庭が緊急支援的にこども食堂につながり、他のシングルマザーから「ここの公営住宅はおすすめ」、「あそこのスーパーは安い」など、当事者ならではの生活情報を教えてもらうような場面もありました。

以前、学生ボランティアから「子どもをダシにして保護者が子ども食堂に来るのは、保護者のための子ども食堂になってしまって、よくないんじゃないか」と言われたことがありますが、保護者のための子ども食堂、大いに結構じゃないですか。

表現の良し悪しはさておき、むしろ子どもをダシにして集える場所だからこそ、子ども食堂は良い取り組みなんじゃないかと思います。私たちも、保護者向けの茶話会とか、自治体の委託でひとり親向けの講座とかやってますが、いつもものすごく苦労するのが集客。特にひとり親に顕著ですが、ただでさえ忙しい保護者が物理的に集まるのって、かなりハードルが高いと痛感してます。

 

次に左下、親から好ましくない関わり方をされている子どもに何ができるのか。やはり、その気持ちを受け止めることは大事だと思います。たとえば、親に怒られた、誰も自分の気持ちをわかってくれない、といった感情を受け止めることで、心にスペースが生まれるのは子どもも同じですし、それが子どもの発達にとって望ましいことであるのは言わずもがなです。

ちょっと難しいのは、親がいるスペースではなかなか口にできないこともあるかもしれないこと。食事後のアクティビティの際には、保護者と子どもを別の空間に分けるような工夫も必要かもしれません。

子ども食堂の良いところは、何と言っても食事という子どもと仲よくなるための強力なツールがあることだと思います。ご飯を一緒につくるという共同作業、ご飯を同じテーブルで一緒に食べるという物理的な近さと時間。特別なスキルがない人でも、子どもと距離を縮められる要素が詰まっているなぁと改めて関心します。普段現場をもっておらず、子どもたちから見れば「誰だこのおっさん」状態の僕でさえ、年1回のキャンプではかなり子どもと打ち解けることができるのは、自然の解放感もあるでしょうが、一緒にご飯をつくり、同じテーブルをかこむ時間があることの効果が大きいです。 

子どもに対してできることのもう一つは、見守りです。見守りというと色んな意味合いがありますが、たとえば普段の家での過ごし方、子ども食堂での精神状態や健康状態、発言や行動の内容など、さまざまな角度から子どもの様子を観察しておくことで、異変があったときに早めに気づき、保護者のケアをするなどの対応が可能になるでしょう。気をつけなければならないのは、やりすぎは逆効果になること。家で困ったことがないか執拗に子どもに尋ねたり、ちょっと膝をすりむいているのを見て大ごとにするような子ども食堂は、親の立場になれば御免こおむりたくなりますよね。

見守りに関する実例を紹介すると、数年前にちょっと複合的な課題を抱えているご家庭の子どもが参加していました。 子どもがある事件を起こしたことをキッカケに、要対協(要保護児童対策地域協議会。地域の様々な機関による子どもの見守りネットワーク)に私たちも参加して、子ども食堂での様子などを情報提供しました。往々にして、子どもは学校では見せない一面を持っていることがありますし、そもそも不登校の子どもであれば誰も子どもの様子がわからない、ということもあります。生活保護ケースワーカーも、親とは面識があっても、子どもとは会ったことがないという話もよく聞こえてきます。子ども食堂しか知らない子どもの情報があることも少なくないでしょう。

 

虐待対策としてこども食堂を見るときに難しいのは、上段の二つ。子どもが日常的に暴力を振るわれている、頻繁に食事を与えられていない、家から追い出されている、性的な被害にあっている…。そういった緊急性の高い場合に、どうするか。

保護者に相談機関を紹介して、それで解決するならば、誰も苦労しません。よっぽどの関係ができていなければ、どこそこの機関に行ってみたら、と言った瞬間にばっさりとシャッターを下ろされて、そこで子ども食堂とその家庭の関係はおしまいです。

じゃあ、児童相談所に通告すればいいか。確かに、要保護児童の通告義務は児童福祉法第25条にも明記されていますが、児相に通告してすぐ問題解決というケースは、残念ながらほとんどない気がします。たとえば、こんなケースがありました。

 

親からの虐待を訴えてくる子どもがいる。でも、どこまでが本当でウソか分からない。児童相談所に通告しても、相手にしてくれない。そうこうしている間にも、子どもは次々に窮状を訴えかけてくる。対応を間違った結果、親とももめてしまい、毎日のように怒り、脅しのメールが送られてくる。何もできないことに、スタッフが自己否定に苛まれ、疲弊し、組織もギスギスしていく。一体、どうすればいいのか…

 

ネグレクトが疑われる子どもがいる。本当の可能性が高いと思われるけど、もしかすると事実じゃないかもしれない。そして、この家庭に関わっているのは私たちしかいない。児童相談所に通告すれば、確実に通告元がばれ、家庭との関係が切れてしまう。そうなれば、子どもの唯一の居場所、社会とのつながりがなくなってしまう。子どもが居場所を失うリスク、ネグレクトを受け続けるかもしれないリスク、どちらに対応するのが正解なのか…

 

いずれのケースでも必要なのは、専門性をもったスタッフと対応に費やす時間、そして関係機関との連携によるチームアプローチです。今でこそ、私たちの組織には優秀なソーシャルワーカーがいて、児童相談所をはじめとした地域の機関とのネットワークもあるので、上のようなケースにも組織的に対応できるようになりましたが、そこに至るまでには無数の痛みがありました。こちら側が精神的にまいりかけたのも、一度や二度ではありません。

それを草の根の市民活動である子ども食堂に求めるのは難しいかもしれない。子ども食堂の約半数は、個人やボランティアグループが担い手です(出所:「地域社会におけるセーフティネットの再構築に関する研究 調査報告書」、阿部・千葉・村山、2018年)

 

保健センター、コミュニティソーシャルワーカー、子育て世代包括支援センター、子ども家庭総合支援拠点、子ども若者総合支援センター、地域の社会資源の実情に応じてさまざまな可能性があるとは思いますが、子ども食堂に緊急性の高い虐待への対応を期待するのであれば、子ども食堂が受け止めきれないケースをサポートする機関・担当を明確にすることは不可欠だと思います。

 

※本文ではいくつかの事例を紹介していますが、いずれも実際のケースを組み合わせて創作したものであり、特定の子どもや家庭を取り上げたものではないことを補足しておきます。

「分かりにくさ」こそ大事な、貧困問題

このところ、コンスタントに「こどもの貧困」をテーマにした講師のご依頼をいただいています。

2008年頃から急速に社会的な関心を集めてきた、こどもの貧困問題。そのうちトーンダウンしてしまうんじゃないかといつも不安を感じていますが、実感値としてはまだまだ関心の高さは持続しているし、講演などでは、既にこどもの貧困問題の概略的なことを知っている方も増えた気がしています。

 

先日も、シニアが参加する講座でお話をさせていただきました。

日本の貧困の定義が、「所得が高い世帯から低い世帯まで右から左に並べて、真ん中にいる世帯の半分以下の所得で暮らしている方々」と話したところで、首をかしげる反応しか返ってこないことは良くわかっているので、最近は家計のミニワークをセットにしています。

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真ん中の世帯(月の可処分所得34万円)の半分である17万円に収まるように家計簿をつけてみることで、どれだけ貧困線以下の生活が大変かを実感してもらうことが狙いのワーク(出所:「子どもの貧困ハンドブック」p64,65、かもがわ出版)。

3分くらい考えてもらうだけでも、会場のほとんどが「こりゃ大変だ」とざわつきます。そしてこれは、決してそう発言された方を非難する意図ではないと前置きをしますが、「母子家庭は優先的に入れるんだから、公営住宅に住めばいい」、「車は贅沢だから、手放せばいい」といった声も聞こえてきます。

 

確かに、家計のやりくりだけ考えれば、そのご意見はごもっともかもしれません。

しかし現実には、そこには人の生活があり、感情があります。

 

車がなければ、通勤できなくなったり、子どもの送り迎えもできなくなる人もいる。
公営住宅に入れば、学区が変わって子どもが転校しなければならなくなる人もいる。

たとえ上のような生活上の困りごとが発生しないとしても、
そこには、自分は車をもつということを諦めなければならないんだ、という痛みがあるかもしれない。
自分は、自由に住みたい家を選ぶことを諦めなければならないんだ、という悲しみがあるかもしれない。

 

以前、私たちの研修で語ってくれた、当事者の若者たちのことばがよみがえります。

 

本人曰く「親からのえぐい虐待」があり、児童養護施設で育った若者のことば。

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自分は施設で育ったから、経済的に大変だという感覚はなかった。

けど、友達とあそぶ時にはコンビニでお菓子を買うお金がなくて、「財布を忘れた」とか「おなかがすいてない」と言って、その場をしのいでいた。

「一口ちょうだい」というのが多くなって、「またかよ」と言われるときはやるせない気持ちだった。

最近は、施設でも何もしないで、ただ寝てるだけのやつがいる。

何か大きな出来事があってそうなるんじゃなくて、細かいことの積み重ねがあって、動けなくなるんだ。

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高校生の時にうつ状態になり、高校中退した大学生のことば。

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祖父母が援助してくれていたから、生活に困った記憶は特にない。

でも、中学に入るころくらいには、子どもながらに、うちはお金がないから経済的な負担はかけられない、と意識していた。

進学するならば国公立しか選択肢はないと思っていたが、目指す目的もはっきりせず、努力してハードルをこえる自信はなかった。

祖父母の援助に頼っている親に対して、尊敬できない気持ちも抱いていた。

だから、早く自立したいという思いがあった。

就職も考えたけど、自分が社会で生きていけるのかという不安があった。

将来への不安感や行き詰まり感がたまって、うつ状態になっていった。

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この2人のことばから改めて感じたのは、私たちが関心を向けなければならないのは、「無いこと」そのものではなく、そのことによる子ども(あるいは大人)の気持ち、感情だということ。

 

たとえば、十分な食事があるか、お小遣いがあるか、塾にいけるお金があるか、部活に必要な道具があるか、自分の部屋があるか、携帯電話を持っているか...

もちろん、そういったものを持っているかそうではないか自体に目を向けることも大事なことだと思います。

でも、この若者たちの人生に影響を与えていたのは、「無いこと」そのものではなく、そのことによる傷つき体験であったり、諦めの体験ではないかと感じました。

 

日本の相対的貧困問題を考える時、お金の有る無しの問題、モノの有る無しの問題ではなく、それによって生じるココロの問題にこそ、意識を向けなければならないのではないでしょうか。

難しいのは、ココロの問題といった瞬間、どこまでを許容できないものととらえるかは、人によって違ってくる捉えどころのないものになってしまうこと。しかし、この曖昧さを許容しながら向き合っていくのが、日本の貧困問題なのかもしれないとも思います。

 

「母子家庭は優先的に入れるんだから、公営住宅に住めばいい」、「車は贅沢だから、手放せばいい」。これは、この仕事を始める前だったならば、確実に自分の口から出ていた言葉でもある。自分自身がわからなかったものを、まだまだ不十分ではありながらも、知れるようになったからこそ、「分かりやすい貧困」を発信するよりも、「繊細で分かりにくい貧困」を大事にしていきたいと考えています。